Page 42 : ホクシア





 運転をするソフィとまだ幼いミアがごく自然と席に座る流れになり、クロとラーナーは荷台に回る。一度経験した位置関係だが、リコリスに来た日と大きく違うのは所せましと置かれたダンボール箱だ。中にあるのは勿論最近収穫した作物ばかり。ピーク時ではないと断言したジークだったが、その言葉を疑ってしまう量だ。
 見張り番としての役割も持つ二人だが、そう目を光らせなくとも荷物が落ちる心配はないようだった。青いビニールシートをかけた上にロープで頑丈に固定されているためでもあるが、それ以上にラーナーの隣で静かに力を発揮しているエーフィの功績である。
「エーフィ、大丈夫?」
 ラーナーが声をかけるとエーフィは涼しげな顔をして頷く。額に埋め込まれた赤い宝石が僅かに自ら光っているのは、エーフィが念力を行っている証拠だ。華奢な見た目とは裏腹に予知能力を初めとして潜在する力は底知れない。既に固定された荷物を更に押さえる程度は造作もないことなのであろうか。途中休憩をしながらも力を発揮している時間は数時間に及んでいる。それでいて疲れた様子を少しも見せないあたり、旅を始めて以来バトルには顔を出していないが相当の体力を持ち合わせているのだろう。
 エーフィを挟んでラーナーの向こう側に座るクロは、手には広げた地図を持ったまま顔を横に向け周りの風景を見ていた。
 山脈は少し遠くなり麓までおりてきた一向が目指す先は、毎日盛況な市場を開いている賑やかな町、ホクシア。町全体が市場といっても過言が無いほどで、アーレイス全体でも有名でよくメディアでも取り上げられている。山脈に近づくアーレイスの西側はあまり活性が無いが、この町に限っては別の話だ。
 道路も整えられ随分と広くなり、様々な車が行き交っている。道端を歩く人の姿も見えてきた。
「なんだか、久しぶりに賑やかなところに来た感じだね」
「そうだな」
 心ここに非ずという雰囲気でクロは小さく返事をする。
 ここ数日クロは常に何か別のことを考えているように上の空の状態が続いていた。勿論二日酔いも原因に含まれるが、その他の理由を尋ねてもあやふやにして答えず、時間だけが過ぎていくだけだった。彼に真実を聞く決意をしたラーナーにとってみれば少しつまらないことであったが、この外出を機に彼の気分が変わることを期待していた。
 顔がラーナーに向く気配は無い。彼女はもう少し話しかけてみることを選択する。
「情報を集めるって、探してる人のこと?」
「んー」
「探してる人って、誰なの」
「別に」
「あたしも探すの手伝うよ」
「いいから、そういうの」
 鬱陶しくなったのか声のトーンを上げて露骨に拒絶を示す。ようやくラーナーに向けられた顔は声音の通り眉をひそめて苛立ちを浮かべている。
「夜になったらそこらを歩いて勝手にやっとく。気にしなくていい」
「またそうやって一人で行っちゃうんだもんなあ」
 唇を尖らせるラーナーだったが、一方でついていったところで足を引っ張るだけだというのも理解していた。クロは一人で大体なんでもこなしてしまうところがあり、下手な他人の介入はかえって邪魔になる。分かっていても腑に落ちないラーナーは肩を落とす。詮索すればより強く突き放されるだけ、もう諦めの境地に入っている。
 重い沈黙が流れるうちに軽トラックの速度は少しずつ落ちていく。
 派手な色合いの建物が立ち並ぶ町中に入っていこうとする手前で、多くの車が停められた広い駐車場が設けられた場所に一行は入っていく。商人が歩き所狭しと車が列を成している中、丁度出ていくところの車と入れ違いになって、その隙間に軽トラックはゆっくりと停まる。エンジンが止まり揺れが完全に停止したことを確認すると、ソフィとミアが席から出てきて荷台の柵を開く。
「お疲れ様。こっからちょっと距離あるけん大変だけど、ちょっと手伝ってね。特にクロ君とエーフィ」
 単純作業の運転を終えて爽やかな笑顔を花開かせながらソフィは意気揚々と声をかける。ロープを慣れた手つきで解きビニールシートを払うと、段ボールが顔を出す。
「これをとりあえず所定の場所に運びます。案内はするけんね」
 荷台に乗っていた組は久々の地面に降り立つとまずは固まった体を慣らすように伸びをする。
 ラーナーは一つモンスターボールを出し開閉スイッチを押す。中から光が飛び出し形成の末現れたのは眠たそうに視界が半開きになっているブラッキーだ。
 ソフィは荷台に予め置いてあった台車を取り出すとそこにダンボール箱を積めるだけ乗せていく。直接の重みは軽減されるもののコントロールが案外難しい台車を担当するのはソフィ。他の三人は手に持って運ぶ。他に比べ大きさは一回り小さいものの自分の体より随分大きい箱をミアは慎重に持つ。ラーナーは一つ、クロは多少大きさの異なるものを三つ持った。そこでエーフィの出番だ。事前に打ち合わせでもしていたのだろうスムーズな動きで、荷物を完全に浮かせることはしないものの、分散させた念力で人が持っている荷物の重みを軽減する。不思議な浮遊感が手元に表れミアは歓声をあげた。
「すごい、軽い!」
 実際まだ幼い彼女にとってはまだそう軽いものではないはずだが、普段の慣れというものは恐ろしいものだ。
「クロ、前見える?」
「横からギリギリ見る」
 完全に正面の視界は遮られているが、彼の鋭い感覚は視覚に限った話ではない。クロは淡々と答える。
 様子が落ち着いたことを確認してソフィは台車を動かし始める。ごつごつとした道と擦れ合い独特の騒がしい音がし始める。
「じゃあ、ブラッキー見張りをよろしくね」
 声をかけたソフィに欠伸をしながらブラッキーは返事をする。ひょいと軽い足取りで残ったダンボールの上に乗る。一見やる気が無さそうだがちゃんと仕事はこなすだろう。ポニータは大きすぎて通行の邪魔になり、アメモースは完全にやる気がないというクロの手持ちとは裏腹の働きっぷりだ。出発前、そのことに関してクロはさすがに申し訳なく思い頭を垂れていた。
「でも、見張りもちゃんと用意しとくって厳重だね」
 ラーナーが感心するとソフィは失笑を浮かべる。
「この町賑やかで良いとこなんだけど、まあ、いろんな人がいるけんな」
 ぼやかした彼女をそれ以上言及することは無く、ラーナーはふぅんと曖昧に相槌を打った。
 景気の良い人の笑い声が溢れ出ているホクシア市街地へと近づいていく。既に多くの荷物を持った人達が行き交っている。その中でやたらと多く荷物を持っている上エーフィを連れている彼等には視線が特別に刺さる。人混みに入っていくと周りの人は遠慮をして道を開ける。途中角を曲がった頃にラーナーは息を呑んだ。
 市場と一言言ってしまえばトレアスでも朝市を訪れたが、それとは規模が桁違いである。
 ちかちかするようなカラフルな屋根が立ち並びその下にそれまた色鮮やかな果実や野菜が並べられる。魚介類の匂いも混ざり自慢げに屋根に吊るされた巨大な魚が視界に入る。肉もチーズも、食物に限ったものでなく日用品も店頭に揃う。明るい人々の声が混ざり合う中、どこかから聞こえてくる道端で披露する楽器の音。陽気に響く歌。大道芸人の技。それへの拍手喝采。湧き上がる熱気。音が途切れる隙間などありはしない。年中お祭り気分が続く町、それがホクシア。
「すごいところだね!」
 周りの熱気に押されるようにラーナーは頬を火照らせ興奮した声で素直な感想を述べる。
 にやりとソフィは笑う。
「圧倒されちゃダメだよ。ここで売るのは楽しいけど、最早戦いだから!」




 戦いという言葉はたとえというにはあまりに的を得た真実であるようだった。ここでどれだけ売ることができるかが生活に直結するジーク家にとってはこの商売はあまりにも重要である。しかし今回の出張は普段よりずっと上手くいっているとソフィはほくそ笑む。その理由はエーフィとブラッキーのペアにあった。いかに注目を浴びるかがターニングポイントとなる市場の中で、ポケモンの中でも特に珍しいとされるこの二匹の存在は客の目を当然引くこととなった。客は二匹を見て歓声をあげ、触ったり写真を撮ったり。噂がまた人を呼び、一時騒然となる中ソフィがうまく舵をとって場を落ち着かせつつ売り文句をばら撒く。あまり触り過ぎないでくださいね、あまりストレスをかけちゃいけないので、でもこの子達可愛いでしょう、うちのゲストさんのポケモンなんですけど良い子らなんです、ところで――。
 大量の在庫は確実に無くなっていっていた。商品の並び替えを手伝うミアも早いねえと嬉しそうに笑う。この場で一番疲労を感じているのは、恐らく見世物と化し不特定多数の人間に触れられているエーフィとブラッキーだろう。特にブラッキーは顔は平然としながらも地面に立つ足の爪が立っており、積もるストレスが爆発するのを必死に我慢しているようだった。既にラーナーは後でゆっくり休ませることを約束している。
 夕方に差し掛かろうとしている頃。
 クロは空になったダンボール箱を畳み軽トラックまで運んでいった直後息をついた。熱気の籠った町を少し離れただけで随分と体感気温は下がる。心地良い涼風は汗が滲む彼には良薬だった。燃えるような朱に染まる中、クロは元来た道を遡る。息が詰まるほどの人混みが近づくと帽子を深くかぶり直し俯き加減で誰にも顔を見られないように気を遣う。混沌とした人波に流されながら地面の汚れを追っていると、その耳に突然張り裂ける声が跳びこんできた。こら、というありきたりな怒声。野太い男性の者だ。思わずクロは顔を上げ身を正す。周囲の人々も声のした方に視線を向ける。その間を抜けるように小さく細い黒髪の男の子が駆け抜けてくる。必死な形相で走る。懸命に懸命に。そいつを捕まえてくれ。鬼のような声色で店主は叫んだ。クロの視界に彼は入ってくる。腕で抱きしめるように持っているものに気付いて何が起こっているのか理解した。男の子はどけと叫びながら人混みを割り込んでいく。小さいのになんという力だろう。彼の鬼気迫る様子が大の大人たちを蹴落としていっているようだ。大抵の人は面倒事に巻き込まれたくないとでも言いたげに見て見ぬふりをする。それでもクロの傍で正義感溢れる男性が捕まえようと彼の前に立ちふさがる。男の子は舌打ちをしつつも突破口を探る。クロは冷たい目ですっと足を動かした。それが男性の足にかかり彼は体勢を崩す。男の子はそれを見逃さない。横を通り過ぎ人気の無い路地裏へと飛びこんだ。
 小太りの店主は彼を追いかけていたが諦めたように茫然とした溜息を吐いた。
「くそう、やられた。あのコラッタ野郎」
 吐き捨てた言葉にクロは彼をこそりと睨みつけ、そのまま流れるように男の子の向かった路地裏へと入る。細い道を奥に行けば行くほど人の声が遠くなっていき逆に心はしんと落ち着いてくる。散らかったゴミを横目に耳を澄ます。きんと張られた緊張感が彼の中に走る。疲れてきたのだろう、小さな裸足の音はリズムが疎らになってくる。そしてふと止まる。正面からやってきた薄汚れた服装をした女性が不審そうな目でクロを見やる。コラッタが走る。左に彼は曲がる。建物の間から入ってくる太陽の光に目を細め、足を止めた。
 道のまっすぐ遠く方に先程の男の子がいた。
 大なり小なり様々な年齢の子供たちが身を寄せ合う中で彼は何かを食べている。彼が先程盗んできたパンだ。夢中になって頬張っているが人数を考えれば当然一人分はごく僅かな量であり、すぐに食べ終わってしまう。
 クロはそれ以上歩みを進めることなく、考え込むように彼等の様子をしばらく見つめたのちに踵を返す。元来た道をゆっくりと戻る。乾いた建物の匂いが鼻につく。建物に寄りかかるこの地区の住民たち。目を合わせないように通り過ぎていった。




「――で、見逃しちゃったん?」
 ソフィが素っ頓狂な声をあげる。クロが声を抑えるよう合図を出すと慌てて口をすぼめる。周囲を見回すが騒ぎに紛れて誰も気がついてはいないようだ。胸を撫で下ろしながらソフィは小さな溜息を零した。
「今日はあそこのパン屋だったんね。けっこうこの辺じゃ有名なんよ、その子達。何度か捕まえて、ひどいと殴られたりもするけど……逃げ足と嘘泣きでうまく生きとるなんて言われてん」
 溜息を吐くソフィにクロは何度か納得したように頷く。
「でも、盗みを手助けするなんて人は初めて聞いたわ」
「勝手に体が動いた」
「どんな言い訳」
 ソフィは思わず失笑を漏らす。
「あんま重ねるとクロ君も目つけられるよ。厄介事に巻き込まれないよう気をつけなね――あ、いらっしゃいませ」
 客がやってきたのをすぐに察知してソフィは爽やかな笑顔を作り上げる。
 本当によくできた器用なものだとクロは内心感心する。彼には到底出来ない芸当だろう。そして少し肩を落とす。同じだ。この町もこの町に訪れた人もあの子供達もソフィも。
「クロ、後はこっちでやれるから、出かけたら」
 金銭の計算をしていたラーナーは声をかける。彼女の言うとおり、時間帯は夜に近づき確実に客足は減ってきている。クロが特に必要とされていた力仕事も大分減っている。そもそも普段はソフィとミアだけで切り盛りすることもあるのだから、猶更だ。
「明日にはここ出ちゃうんだし、さ」
「あ、ああ……ありがとう」
「……どうしたのお礼なんて。なんか珍しい感じだね」
「別に」
 ぽかんとするラーナーに、いつものようにぶっきらぼうにクロは答えた。
「言葉に甘えさせてもらうよ。ソフィには俺のポケナビの電話番号を教えてある。何かあれば連絡してくれ」
 帽子を改めて被り近くの椅子にかけていた上着と鞄を手に取ると、ラーナーが呼び止める間もなくさっさと店から出ていく。そこをラーナーがはっと思い出したようにすぐに呼び止めた。相変わらず機嫌の悪さを露骨に見せながら彼は立ち止まり振り返る。
「何、行っていいんじゃないの」
「ごめんごめん、あのさ、クロが出てる間にいつの間にか店にこんなのが置いてあったの」
 ラーナーはそう言ってポケットから折りたたまれた小さな紙切れを差し出す。表になった部分にはクロへ宛てたものであることを記す字面があった。
 不審な目でクロはそれを見やるとそっけなく受け取り、すぐにそれを開く。ただの白い紙には走り書きで短い文章が書かれていた。

 今日午後九時、巨大広場にて待つ。

 ひっくり返してみるも差出人の名はどこにも書かれていない。至ってシンプルな文面に彼は益々不信感を募らせる。そもそも自分に向けられた手紙という時点で、直感的に嫌な予感が走っていた。
「なんて?」
「大したことじゃない。誰が置いたとか見てないか」
「丁度接待してる間だったからちゃんと対応できなくて。ごめん」
「いや、まあそれなら仕方ない。とりあえず、俺は抜ける」
 今度こそクロは店を完全に後にした。もらった手紙を手の中で握りしめ、心臓が僅かに速まるのを抑えようと少し深い呼吸を繰り返す。


 その悪い予感が的中することを、彼はすぐに知ることになる。












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