[バケモノの子について]
ネタバレ満載ですので、まだ観ていない方でネタバレを避けたい方は回れ右をお願いいたします。
あと、想像以上に長くなりまして、2万字以上あります(震え声)それをふまえてどうぞ……。
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先日、細田守監督の新作であるバケモノの子を観てきました。見る直前までツイ禁していたこともあってネタバレにぶつかることもなく、というか公式の前情報もろくに見ていませんでしたが、細田信者な気が若干あるので見に行かぬわけにはいかないなあという感じで。
感想文というよりは、自分用のメモというスタンスになるかと思います。故に読み辛かったり些細な点で長々としているところもあるかもしれません。じゃない、あります。
主題歌であるミスチルのStarting Overを聴きながら、記憶を掘り返して、つらつらと書き重ねていこうと思います。
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結論から言いますと、私は好きでした。ただこの好きというのは、細田作品に対して盲目的なところもありますので、なんとも言い難いですが。
後で細かいところは言っていこうかなと思うのですが、私はもう少し尺が長ければもっと好きになれたかもしれない、と思っています。軽くでいいからもう少し説明がほしかったところ、丁寧に描写してほしかったところ。それが目について、勿体ないと。135分?なので映画としては多分十分な尺なんですけど、それでももっとほしかったなと。
けど、好きでした。雨と雪よりも好きかもしれません。どうしても引っかかった部分を除いたら……特に九太が17歳になって人間界に戻る道を見つけるまでの展開は、個人的に文句言えないくらい大好きで、ウォーゲーム(私の中の細田作品殿堂入り)の次に好き、くらいは言えたかもしれません。
ちょっと記憶を追いたいので、ガキ九太時代の前半は流れを追っていく感じで。
まず、オープニング。宗師様が神様に転生していくという話。そのへんの設定も知らずに突入したのでふーんと思いながら聞いておりました。ここでしたでしょうか、もっと後かもしれないんですが、付喪神、という選択肢を聞いたとき、(……刀剣乱舞……)と脳裏を過ぎった審神者は多分全国で私だけではないと思います。まあそう思っていたら終盤とうらぶを髣髴せざるを得ない展開になって思わずにやついてしまいましたがそれは後で。
タイトル。バケモノの子。
今更すぎて恥ずかしいのですが、そこで私ははじめて、「バケモノの子」に小さく「The Boy and The Beast」と記されていたことに気が付きまして。いや、勿論、ここで出てくる主人公九太が本当にバケモノの子ではないということはさすがに知っていたのですが、この英語を訳すのなら本来「バケモノと子」であり、けれどこのタイトルは「バケモノの子」であり、私はそこでいいなあとか思うこれが単純な細田信者の思考だなと自分でも思います。「バケモノの子」だけではなく、わざわざ「The Boy and The Beast」と添えてあるのが、いいな、と。
そしてしょっぱなから渋谷に迷う九太。この時は蓮くんですか。九歳。分家の子供。親は離婚、父は行方不明。何やら家庭裁判を行った上で親権は完全に母方にあるそうで。分家である彼ですが、家系で男は彼しかいない関係で本家へと引き取られる。まあよくある展開というか、本家が分家を見下しているあの態度まで完全にテンプレといいますか。九太は母親が死んだことをまだ受け入れられず、本家の差し伸べた手を払い、一人で生きていくと言い放ちます。九歳ですよ、九歳。九歳という歳でそのような選択を選んでしまう九太も、さすがというか、まあ、生意気だなと(笑)
渋谷。握りしめた小銭とお札。後々大きくなってからまさか再び出てくることになろうとは思ってなかったですが。どうしてあそこでさっと出てきたんだというのは私の中でなかなか謎です。
チコを見てうおーよくあるマスコットキャラクターだ……と本当にベタな展開だなとずっと見てました。なんだろ、私ああいう、常に主人公についてる小さなマスコットみたいなのは、そんなに好きではないというか、またいるんだそういうの……という目で見てしまうところがあります。でも、ここのチコにパンくずをあげるシーンの九太の手の動きの優しさが美しくて好きでした。
熊徹との出会いは、初めて九太の瞳がはっきりと、生き生き描かれていたような気がします。そこまで本当、生きながらにして死んでるような印象だったので、ようやく呼吸を感じたといいましょうか。そして赤い熊徹の瞳のアップはぐっときました。
気になって追いかけて警察に追いかけられて、積極的に使われる防犯カメラを通した描写。頭が弱いのでやたら拘ってた防犯カメラの描写の意味が未だにいまいちよくわかっていないのですが。その最中、偶然熊徹の背中を再発見し――バケモノの世界へと迷い込む。花、不気味でしたね。
そこから渋天街。
ここで一言つけ添えていくと、私は細田信者である他に、ジブリ信者です。異世界に迷い込む、そして、赤を基調とした異世界、夜、たくさんの灯り。完全に、千と千尋の神隠しを髣髴させながら見てたのは、私だけなんでしょうか!!うわあ、せんちひだあ……!!!wwwwと思いながら見てました。並んでる商品の描写とかも千と千尋の屋台(?)に並べられた商品がいちいち頭を過ぎって、逃げ惑うその姿まで、このあたりは完全に重ねてました^▽^でも、逃げるところのわざと九太の視線に合わせて商品の間を駆け抜けていくところの描写は圧巻でした!途中、ぐっと低くなったかと思えば、そこから手をついて逃げてたんですよね〜すぐに九太が四つん這いになって逃げてるのをうつしてたんですが、いやーあそこ良かったです。ちびっこから見た世界。いいですね。よかったです好きでした〜あれ良かったなあ……と何度でも言ってしまう。
三人兄弟(じゃないかもしれないけど)の馬のバケモノ。この三人、後々までずーっと出てきてましたねw初登場時は革を剥ぎ取って三味線に使おう的な恐ろしいことを口走っていましたが、賭けをずっとしてて、憎めないキャラクター。彼等だけにスポットを当てると、最初は三人とも猪王山に賭けたり、二郎丸に賭けたり、常に熊徹・九太とは逆のところにいたけれど、コロッセオでは熊徹に二人。かわいらしい。
そして!みんなだいすき!素敵な豚のバケモノ!百秋坊!!!!!!!リリーフランキー最高か……至高であった……本当にこの作品を形作る大きな大きな一人。いやーもう、このキャラクターの良さですよ〜落ち着いた良い声での淡々とした語り口ですよ〜〜〜そして一発終盤で怒号を放ったあのシーンですよ〜〜〜〜〜〜いや〜〜〜〜〜まさかこんなかっこいい豚のおじさまにお会いできるとは……思いもよらぬ出会いでしたよね……百秋坊が喋るたび胸のときめくレベルでした。
熊徹との再会。猪王山との一騎打ちとかに関しては後でかきます。熊徹の孤独の片鱗をみた九太は、流れるように九太は熊徹のところへと行き、案の定喧嘩しながら生意気レベルマックス。名前は名乗らない。結局最後まで熊徹に自分に本名を直接言うことはなかったなあ……。まあ、それでいいと思うんですけどね。蓮は人間界での名前。九太はバケモノ世界での名前。
ちぐはぐな師弟は喧嘩してばかり。お互い文句ばかりで進まない。九太は母親の死をまだ受け入れられない。時折過ぎるお母さんの姿。そのおかげで前に進めたのだけど……真似をする、というアドバイスの先からはお母さん一切出てきませんでしたね。もう少し出てくるものかと思ってたんですが……。でもそれは、九太が母親の死を受け入れ……というか、今生きることに必死になったから、かもしれません。
旅で何人か仙人に会う道中、百秋坊との会話。やっぱり百さんはいいですよね……落ち着く。旅先までお茶煎れるのかよ、と思わずつっこんでしまいましたが、星空の下、たき火を前に、俺には才能がないかもしれないと呟く九太を、静かに励ます。あのとき、多々良はまだ九太のことを認めていなかったし、百さんくらいしかまともな味方がいなかったんですよね……。
結果、お母さんの助言もあって、足技を会得する。このあたり本当に良かったんですが、後で改めてまとめて話します。
特訓を続けていくうちに九太は強くなっていく。人間とは思えないほどに、バケモノの世界で通用するほどに。はじめは割れなかった西瓜。だんだんとそのパンチは強くなる。けれど、壷やらを軽く破壊できてしまう熊徹を見て、「くっそー!」と悔しがりながら、諦めずに強くなろうとする。日々移ろううちに、九太の身体は同時に大きくなっていく。多々良の背をいつの間にか越して、熊徹との稽古は続いていく。このあたりはダイジェストという感じでさらりさらりと流れていきましたが、季節の流れもあって、ね、良かったですね。ちび九太が大きくなっていって……立派になっていって……そういうの胸にぐっとくるわ。でかくなって、家の近く(?)の庭っぽいところを離れ、なんと夕日を背景に山で稽古している二人。男同士って感じでしたな。「九太、おまえ、今何歳だ」と言ってさっさっと十七と示す。あの俊敏な動きが地味に好きでした。「じゃあ、おまえは十七太だ」「九太でいい」この流れがおもしろすぎか。そして声変わりした九太……クッ不覚にも萌えました。そりゃそうなんだけどね。声変わりいいですよね。本当にね。それまで宮崎あおいの可愛らしい少年声だっただけに、本当ね。声変わりって……いいよね…………。
ここまでの流れは本当に、良かった。
で、後半ですね。十七歳九太になってから。
今回のどうしても気になった点。後半からそれがオンパレードだったので、そのあたりに焦点を当てつつ進めていきます。批判増えていきまする。
まず筆頭、というか私の中での違和感の80%くらいを締めるのが、ヒロイン、楓。楓を好きな方にはちょっと理解していただけない内容になるかもしれませんが、嫌ならどうぞ飛ばしてくださいませ。
私、この子がどうしても、うーん、好きになれないんですね。この子が絡むエピソードが。
この手前、偶然人間界に戻ってきたあたりからなんだか私の中でもがらがらと積み上げてきたものが崩れていくかのよう、といいましょうか。そもそもなんでそんな軽く人間界にいけちゃうんだって違和感が半端じゃなかったんですが。偶然に偶然が重なって、かなり違和感というかご都合主義すぎやしないかと……と。渋谷に戻ってきてから九太は図書館に向かい、白鯨を手にとり、偶然その隣にいた楓に話しかけ、そこから親密になっていく。楓にしてみれば自分と同じくらいの年代に見えるのにまったく学が無く、物珍しかったのは間違いないでしょう。何しろ楓は(内情はともかくとして)恵まれた家庭に生まれ、当たり前のように高校まで通い大学にも行くつもりで、しかもなかなかガリ勉タイプな優等生ですから。だから、九太のことが気になった。共に白鯨を熟読し、一つ一つ調べ、九太は中学の勉強もした(多分楓も教えてたでしょう)。九太もこれだけ自分のやりたいと思ったことに親身に付き合ってくれるのなんて実際問題楓しかいなかったわけですから、彼女のことを大切に思うのも、すごく当然な流れだとは思うんですね。
けれど、私にはどうしても、楓があまりに自分勝手に見えてならないのです。
親の望む道を沿い、それに嫌気がさしており、大学に入ったら自分のやりたい勉強をするのだと。今まで誰にも言ったことがない本音だと彼女はいいますが、あまりにも優等生キャラとしてテンプレな理由すぎてチープすぎるというか……他にいい何かはなかったのか……と……。ここで、もっと楓の家庭について掘り進んだら、納得できたかもしれないのです。しかし、実際楓の家庭に実際に触れたのは、一瞬。終盤、楓が九太に公衆電話から呼ばれ夜に家を抜け出すシーン。不透明なガラスの向こうで新聞か何かを読んでいる(恐らく)父の背中。ここで普通物音を立てずに出ていこうとするものだと思うのですが、楓はわざとか、鍵を普通に開けて、通常通り鍵を開ける音は鳴りました。鍵を開ける音って、現実として、やたらと家の中に響きませんか?リビングが近いようだったので、猶更。しかし一切気にも留めない家族。楓はその様子をじっと見て、そして、音を立てて、家を出ます。勘繰りすぎかもしれないんですが、あそこはきっと楓は家族を試したんじゃないかなーと思います。そこで観客としても楓の親は本当に楓自身には大きな興味を示していないのかもしれない、実際冷めた家庭なのだろう、と推測できます。でもそれでもいまいち納得がいかないと思うのは、何故でしょうね。やはり彼女の思考がチープすぎるからなのか……いや、でも、やはりもう少し彼女の家庭の描写をわかりやすくしてもよかったんじゃ……あまりにもさりげなさすぎて……バケモノの子は九太と熊徹の話がメインだから、楓の家庭が出しゃばってもしょうがないとは思うんですが、楓の親子の会話シーンをいれるとか……。それこそベタな例で恐縮ですが、「ただいま」と声をかけても「おかえり」が返ってこなかったり、会話が全然行われなかったり、かと思えば成績の話ばっかりしたり……そういうの、あっても良かったんじゃないかなあ……あれでは、楓の願望が余計浅はかに感じてしまう。
バケモノの子。人間とバケモノの親子。
人間と人間の親子、そこをもう少し描いてほしかった。そこに挙がらざるを得ないのが、九太の本当のお父さんなわけですが。そういえばこのお父さん多分名前出てないですね……。お父さんの話は後でするとしましょう。まずは、楓です。
楓は九太に大学受験を勧めます。もっといい先生のところにつくべきだ、もっと勉強したいと思わないか、大学に行ってみない? いやいやいやいやいや……ですよ。楓のキャラベタすぎるだろ……と思うのと、私この時点で楓のことにちょっと違和感湧いてたので余計そういう目で見てしまったんですが、なんか、九太が人間の世界に行くよう無理矢理に自分の欲で引っ張ろうとしているように見えて……。実際、楓はすごくいいこなので純粋な気持ちでそう発言したんだろうとは考えるんですが……なんかな〜ま、そういう貪欲なところ女らしいかとも思いつつも、それで素直に九太も了承しちゃう九太もわけで。なんでだよ、と。なんでそんなにあっさり人間の世界に引き込まれていくんだよ。最初だって熊徹には頑として教えなかった自分の本当の名前をあっさり教えたり(地味に許せないくだりです)。楓はそりゃあ、嬉しかったでしょう。九太のことを好いていたわけですし、これからもずっと一緒に勉強できる。そりゃ、嬉しいでしょう。……ああ、余計に自分勝手に九太を引き込もうとしているようにしか感じられない……。
最終的に九太が人間の世界に戻るであろうことは、映画を見る前から予想していたし当然だと思っていました。むしろ残ったらそれはそれで九太それでいいのか、いやだめでしょう、となるものでしょう。だからどのような過程で人間へと戻っていくのか、そこがかなり重要なわけです。――女か、女なのか。女でいいのか、九太。しかもその子、確かに親切だけどただ偶然出会っただけの……偶然隣にいただけの……そんな都合のいい展開でいいのか!!肩や9歳から17歳まで毎日毎日家族のように濃密に過ごした世界だぞ!???!!???恩も愛情も比較にならんし何よりも年季違うわ!!!!九太って生意気さやらに隠れて本心が分かりづらいから余計に埋まりようもないよ納得できないよこれでは!!!!!!
九太が楓の前で暴走しそうになったシーンがあったじゃないですか。あそこでひっぱたいて、抱きしめて引き寄せて……平手打ちはいいかなあ……そうでもしないと楓があれは危険すぎた。あれめっちゃ怖いと思う。よく手が出せた。ただ、んーなーんかなー抱きしめちゃうんだなーそれで、どうしようもなく苦しい時がある、どうにでもなれって思う時がある、私も、みんなも、だから大丈夫……みたいな言葉だったと思うんですが……。うーんでも冷静になればここは、いいのかなあ……いいな……うーんもやもやはするんですが、結局みんな人間は闇を抱えている……そういうことか……人間の感情は沼のようで怖いな……書きながらにして少し整理されている気がしなくもない……。栞の紐を九太に渡したときにもうあーこれは絶対今後九太が暴走したときにこれを見て九太は理性を取り戻すんだろうなあという流れが見え見えだったんですが、そういうのをしちゃうから余計九太が楓に救われてしまうんだよね……。少し弱い気もするんだけどな〜栞の紐。まあ、楓にとっては大事なものっていう設定だからなあ。なんというか、九太と楓で「どうにでもなれ」「どうしたらいいかわからない」「すべて壊れてしまえばいい」とかの意味に違いが大きい気はする。楓は九太ほど感情的なキャラクターではないし。そういう問題ではないのかな……うーんもやもや。
まあね、そして、楓関連で極め付けはラスト周辺、一郎丸が彼等の目の前に現れてからの展開。離れてろ、と言って、離れようとしない楓。もーっなんというか!いや、わかるよ!わかるの!そこで離れないからこそヒロインっぽい!でもね!あれですよ!邪魔だよ!!!!!!!!!!!という!!彼は本気で言ってる。本当に命の危険が迫っているだと理解しているから、言っている。その後も彼は赤の他人にまで必死に離れろと警告し続けた。彼はなるべく他人巻き込ませようとしない、優しい子だ。なんで「離さないから……!」なの!??!!!?????いや、その後そこの理由については回収されたけど私そのあたりにも納得がいってないので……。あそこはね、腹が立ってしまいました。なんだろうな、楓の性格立ち位置をそこまでで受け入れていれば……許せていたのかもしれないけど……。
そして、電車のシーン。九太が真剣に自分の身を滅ぼしてでも自分の穴に一郎太を抑え込む、という手について考えているときに、突如、楓がどうしてあの時離れなかったのか……という話を話し始める。
いやいやいや……いやいやいや、いやー……なんでだ……あまりにも二人の思考の間に溝がありすぎるだろう……どうして今その話をするんだ……正直、九太今楓のことまで考えてないのに……一郎太をどうするかということに向き合っているのに……楓は自分の気持ちを話す……。思考を読めないのはわかりますけどね、そりゃ当たり前ですけど、もうちょっと自然なやり方があったでしょう、映画作品としてさ。もうそこで私は彼女のことを諦めの目で見ていました。この子、だいぶ、自己中すぎないかって。九太のことわかっていないし本当に理解しようとしてないし、たぶん、自分のことが可愛いだろうな。優秀だけど親の敷いたレールの上をずっと歩いてるかわいそうな生い立ちで、でも大学生になったら自分らしく生きたいなーってはじめて打ち明けて、素敵なヒロインの立ち位置に立って、片時も離れずに心の支えになってあげる。うん。うん。すてきだね。そんな自分に酔ってるんだね。
辛辣すぎますか?
でも正直に、私にはそういう風にしか見えなかったんです。私が女だから余計そういう風に映ったのかもしれません。冷静に、楓はどういう風に見られているのか、知りたいところはあります。
楓はね……やっぱり浅すぎたんだと思う。キャラクターとして。まあ枠的にも、最初から最後までずっと出ている九太や熊徹とはそりゃあ事情が違います。それにしたって様々な行動が突拍子もなく感じられて、それで余計に自己中に見えてしまう。過程がほしいんだ。九太と楓がそれだけ心が密接になる理由とか運命的なものとか、もっと深く、細かく欲しかったんだ。だって、大切じゃないか。そこを雑に扱ったから、後半で喧嘩して九太が熊徹のから飛び出したあのあたりだって、虚しく感じられてしまったんだって。私がバケモノの子を観てもっと尺が欲しかったと思うのは、ここが大きいかなと思います。九太と熊徹の絆の強さに関しては文句なしなわけですから。それでもだめならほんとに楓とは性格が合わなかったというだけです。むしろ長く彼女を見ることになって毒になるのか。この出来では私とは相性最悪でした。
締めもバケモノの世界での宴の世界で受験の話出して受けるよって九太が言ってやったあー!って全力で喜ぶのを見て本当に何も言えない気持ちに包まれました。秀才キャラってことでそういうことになったのかなあ……。
ヒロインの扱いって難しいよな……と改めて自分の作品を省みてしまったというのは置いておいて。
楓の話はこのあたりにしておきましょう。一通り、彼女についてどうしても言いたいことは書き終えた、かな。
次に、九太の本当のお父さんですね。
なんか可も無く不可も無く、という方に見えるんですよね。でもいい人かわるい人かで言えば、いい人ではないでしょうか。行方不明だった息子のことを抱きしめ、申し訳ないと言い、俺にできることはなんでもやる!という。きっとコツコツタイプのサラリーマンなのでしょう。
だからこそ彼に関して気になるのは、どうして離婚したんだ?ということ。彼と九太の掛け合いを見ている感じ、そんな離婚するほど悪い人には見えない。だって、家庭裁判まで起こされたんだよ?なにがあった?どうして離婚理由に一切触れなかったんだろう……。それも物語の大筋には関係ないことだから? そんなことないと思うんですけども。だって九太が渋谷を彷徨ったのは、彼に親が一人もあの場にいなくなったことが大きいのだから。序盤、どうしてお父さんはいないの、そう蓮は呟いた。その理由はなんなんだ。出会って人目も憚らず息子を抱きしめ時間を埋め合わせようと一緒に暮らそうとする彼は少なくともやさしい人間ではあるのだと思う。でも、事実として彼は幼い蓮を一人ぼっちにさせてしまった。……お母さんがいなくなったことを、後から知ったという話なので致し方ないですが。本当は離婚の理由まで匂わせていたけど私が気が付かなかっただけなのだろうか。本家が彼を煙たがっていたのは間違いないのですが、つまり本家が二人の間を無理矢理裂いた?でも憶測でしかありません。まあ、これに関してはいやそこまでの追及はいらんだろーという人もおられるだろうとは思いますが。
劇中で九太がお父さんに向かっては埋まっていない時間について言及していましたが、まあ、まさにその通りで。このお父さんもなあ、自分勝手なところがあるんだよなあ……。喜ばしいのはよく分かる。九太が好きだったハム入りオムレツのことを忘れていなくて、それを食べようという。17歳になって自分よりも背が高くなった息子に、幼い頃の大好物。ちょっとわらってしまう。仕方ないんだ。九太とお父さんの記憶は九太が随分小さい頃で途切れてしまっているのだから。
――そっか、大人と子供では時間の流れ方が違うんだよな。俺には、お母さんと蓮と過ごしていた日々が、まるで昨日のことのように思えるんだ。
こんな感じの台詞だったように記憶しているのですが、これは、なかなか強烈な言葉でしたね。昨日のこと、とすぐに九太は茫然とした声、顔で反復していたような。九太とお父さんの隔たりが一気にあからさまになった瞬間だったと思います。時間も、心も、あまりにも距離が離れてしまっている。そういう現実が目の前にあった。九太は多分そこに愕然とし、感情を抑えきれず怒りや苛立ちをぶつけたのだと思う。何も知らないくせに知ったような口をきくな。大人は、身勝手だ。自分の意向で腕を引いていこうとする。まあ、九太も身勝手な怒りだったんですけど。言わなければ知るはずもない。言葉なしに説明なしに伝わるほど彼等の間には絆は無い。
お父さんにとっては九太はかけがえのないたった一人の息子だけど、九太にとっては違う。いや、間違いなく他にもう一人といない父親なのだけれど、彼は八年間バケモノの世界で生きてきた。その時間はまさに大人とは違い子供の長い長い時間だ。そしてそこに、師であり親代わりでもある存在がいる。九太と熊徹の関係は、親子とはまた違った毛色だから(偽物であるからという理由ではなく)、親代わりであるというよりもずっと適切な言葉があるのだと思うのだけれど……そのまま、師弟か。拳を何度も幾度も交し合った、男同士の絆。
蓮のためならなんでもする、と叫ぶお父さんの言葉。嘘偽りも裏表もない、言葉通りでしょう。
それでも熊徹に比べてしまうと霞んでしまうのは、それは映画の尺がどうこうという問題を遥かに超越している、次元が違うレベルの問題なのでどうしようもないことなのでしょう。
最後、九太が両手に荷物が大量に入ったビニール袋を引っ提げてお父さんと歩くシーンは、胸があたたかくなったんですけどね。お父さんは九太に歩み寄ろうとしているけれど、あの時間と心の距離を埋めようとするには、ただお父さんが一方的になるのではなくて、九太の方からもお父さんへと向かって歩み寄らなければならないから、きっとこの先時間はかかるだろうけど最終的に九太とお父さんは本当の意味での親子になれるのではないかな、と思ってる。というか、思いたい。願っている。少し淋しいことではあるけど、熊徹と過ごした八年間は、九太がこれから過ごすであろう数十年の時に比べれば、刹那なのだから。……勿論、感覚的には大きいものであるものには変わらないと思います。九太を創り出した八年なのだから。大人とは違って、長い長い子供だった頃の時間なのだから。
まあそんな感じで、後半はクエスチョンマークで溢れる部分もありましたが、積み重ねてきた先の見どころな場面もあったわけでありまして。
まとめて特訓とかそのあたりの話をしていきます。
別に後半に限った話ではなくて、一騎打ちや訓練のシーンは目を見張るものがあったというか、見てて面白かったです。せめて足の動きだけでも……と、ひたすら足の動きに焦点を絞っているのを見て、そうなんだよな足なんだよな〜足大切だよな〜(自分の作品を振り返りながら)なんて考えたり、腰の落とし方とか、勿論腕の動きとか、でもやはりステップが良い……飽きなかった……。九太が才能発揮して足の動きを会得して熊徹を翻弄してからの展開が本当、良くって。それを見て多々良がやるじゃねえか!!!って全力でほめる、あれですよ。あれがもう、胸がぎゅっと掴まれるようだった。多々良はそれまでは完全に九太はよ出て行けや側だったのに、掌クルーであんなに……たいしたもんだ!!って。おっさんか。いやーよかったなあ。そこで九太がめっちゃくちゃ嬉しそうにしてるのがね、ほんとにね、すごく気持ちが分かる。努力が報われてそれが素直にほめられたときって嬉しいよね。九太は旅の間も自分には才能がないんじゃないかとずっと悩んでいたし、多々良は辛辣だったから、余計に嬉しいんだと手に取るように理解できて、はああ〜〜〜九太良かったね〜〜〜〜!!とスクリーンの中に飛び込んで撫で回したくなる勢いだった。多々良も良いキャラしてるよなあとは思ってたけど、百秋坊も熊徹もそうだけど、皆あほみたいにやさしいんだよなあ。あったかい。このあたりのキャラの優しさとかそういうものは後でまとめて語りたい。
熊徹と猪王山の一騎打ちは二度ありましたが、どちらも見応えのある戦いで、動きの描写に関しましてはもうあそこに描かれていることが全てなので細かいことを言ってもどうせ言葉になりきらないのですが、音がねー良かったんだ。音が良かった。映画館の音響。筋肉を膨張させて相撲をとるシーンの、頭からどつきあったあそこの音。殴る蹴るよりある意味想像がしやすいせいで、見ているだけで余計に激痛のイメージができて私は思わず身を引いてしまう思いだったのですが、そこのカーン!みたいな鋭い音が良くって、それこそ頭に響くような音だったんですよね。映画館に突き刺さるような効果音で、イメージが膨らむのなんのって……w同じように鋭い音で、二度目のコロッセオでの、刀を出しての鞘同士の激突。あの衝撃音。びりびりと痺れまで直に伝わってくるような演出。うーんロマンでした。良かった。音響も進化してるんだなあ……映画館で滅多に映画を見ないので、勿論音響の進化を行くたびに実感するのですが、刹那の効果音にも心に矢がささるようだった……。
後半コロッセオはなんといっても九太が合流してからの流れがなあ、本当になあ好きでなあ……あのあたりって、人間界でもやもやしてた後なので、私的にもお父さんや楓の云々でけっこうストレスがたまっていた部分もあったので、この我慢できずに九太が飛び出して叱咤して熊徹と共に戦う、うーーんいいです。いや、そうなることはわかっていたんですけど、めっちゃくちゃベタな展開なんですけど、私は王道の展開が大好きなので。王道は王道だからこそのみせかたというか、ある意味期待を裏切らないからこその安心感。はー良かった。そこ!右!いける!中段!とか、スポーツ観戦か!(笑)勿論、すごく密接なんだけど!あの九太の表情がなあ良かったんだよなあゴロンゴロン。はあー師弟良いです師弟萌え……たぎる……。結局お前等二人そろってようやく一人前。あんな風に心が通っていると本当に、泣きそうになるから、困る。泣かなかったよ。ここではな!うむ。熊徹もね、大事な試合なのに九太が合流してからは「まるで九太と特訓している時のよう」に笑って……。熱いですな。超逆転劇は嫌いじゃないのですよ。そして会場のボルテージの上がりよう。一体感。たまらんかったー。
最後、きめるところ。猪王山の鞘が弾け飛び、そのまま熊徹が彼の刀を蹴り飛ばし(ここ、柄の端……頭だったかな頭のところを的確に蹴ってたんですっけそれとも腕を蹴って弾いてたんですっけ……うーんどうだったっけ忘れてしまった。おおっとなったんだけども)、熊徹の拳が猪王山のイケ面にクリーンヒット……!カウント……熊徹の時よりずいぶん早かったですね……wようやくまともに刀同士の描写が来ておおおおおおって熱くなっておりました。宗師様の命令で鞘から出さないようにしているという設定が地味に好きです。鞘同士でも熱い……そういう決まりがあるこそ、刀身が姿を見せてからが映えますよね。
一郎彦が人間だというのは青年期になってから彼に歯が生えていなかったりするところから容易に想像できたんですが、もうわかっちゃってからは、「人間のくせに……
!」が胸に痛いのなんのって。まさか神通力(だったっけ)が人間の闇だったとは思わなかったけど……まじかよ人間すごいね……。少年期の時点で一郎彦がそれを使えることは二郎彦が発言しているので、そのころから闇が表立っている部分あったのかなあ……どういうきっかけで手に入れるものなのかよくわからないのですが。九太の場合は熊徹が刺されたときに一気に……でしたが。熊徹が刺されてからの一郎彦の暴走はすごかったですね。なにがって、宮 野 が 。いやもう、さすがすぎた。圧倒された……。青年期一郎太の声聴いた瞬間、宮野真守がでるって知らなかったので不意打ちで宮野じゃんwwwwwwwwって思わずにやけてしまったんですが、いやもう、さすがだった。それしかいえない……メインキャストが芸能人で固められているだけに余計、あ、やっぱり本業は別物のそれこそバケモノだ……と。しかし、今回、声の不満は全然なくって、芸能人キャストであっても特に違和感不満なく。しいていうなら楓くらい……楓に風当たり強すぎて申し訳ないくらいなんだけど……。声のお話でもう少し少し脱線いたしますと、百秋坊のリリーフランキーと多々良の大泉洋が良くて、熊徹の役所さんも良く!!役所さんのあの不器用な父親像の演じ方がぴったりだった……百秋坊と多々良はあの演技あってのキャラクターだわ……本当に良かった心からたまらなかった最高だった……。百秋坊は最後怒声をとばすところが映えるのは、散々あの良い声で落ち着いて喋っていらしたからなんだよな〜〜いやほんに百秋坊は一から百まで誉めちぎれる。あと、個人的に予想外に良かったのが、少年期九太を演じた宮崎あおいでした。宮崎あおいは雨と雪でも確か花の役を演じていて、その頃に比べるとずいぶんうまくなったような……私、宮崎あおいが出てくることは知っていたんですけど、どのキャラを演じるというのは知らなかったんですね。九太少年いいな〜生意気なのがうまく出ててこの人の声とか演技がはまってるなーと鑑賞してエンドロールで蓋を開けてみたらまさかの宮崎あおいでびっくりしたんですよね〜。あれこんなに声の演技できる人だったのか……という。花は心の強い優しい母親という感じでまあ宮崎あおいっぽいなーという配役だったけれど、九太ってクッソ生意気な少年で、しかもひとりぼっちのつらい面も持っていて……。宮崎あおいってああいう声も出るんだなあ。花よりはまり役だったと思いますw多分、けっこう頑張られたんじゃないかと思うのだけど……。あの暴言の数々があの宮崎あおいの口からでているんだと想像するだけで面白い。良かった。生意気だけど憎めない九太少年は宮崎あおいあってだった〜好きだった……。しかし、改めて確認すると雨と雪のキャスト、けっこう多くバケモノの子に出演なさっているんですね。知らなかった。
思ったより長く脱線しましたが、戦いシーンの話あたりに戻ります。
一郎彦に関しては宮野真守が全てというか完全に飲み込まれてしまったというか、熊徹を刺し殺そうとしてこいつふざけんなとなったんですが。そこからも人間界でもう暴れまくって……九太があれだけ優しい子じゃなかったらどうなっていたことか……まあある意味九太が優しかったからこそ手間取ったというところもあったんでしょうが。最終的に猪王山のところで穏やかに過ごせそうで、ハッピーエンドはやはり良いなあという感じで私の中でも穏やかに落ち着きました。
白鯨を読んでいないのでどうして鯨をここまで推しているのかいまいち解らなかったんですが、読んだらわかるのかな。一郎彦の力が膨らみに膨らんでかなり絶望的な状況になったんですが、まあ、それは置いておいてね。
抜刀ですよ。
大太刀熊徹、抜刀ですよ。
うわああああ抜刀術きたーーーー!!!!!居合術ーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!やっぱりかっこいいいーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!ブワッ(;ω;)
かっこいいが全てですねここに関しましては!それ意外の言葉がいるか!?抜刀術がかっこいいことに理由が必要かい?はあああーーーいいですよね……抜刀術……「日本刀を鞘に納めた状態で帯刀し、鞘から抜き放つ動作で一撃を加えるか相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手にとどめを刺す形、技術を中心に構成された武術である(wikipedia参照)」ですよ……あーもう大好き……ほんと抜刀術大好き……(自作でもやりたい)……叫びたくなりました……これをフィニッシュに選んでくれた監督に感謝……尺をがっつりとって凄まじい見せ所でしたね……過剰な演出くらいが見せ所にはちょうどいいですね……一発できれいに決めてくれましたね……。真剣同士の戦いはその前に一郎彦と九太がやっていてようやく刀同士らしい金属音が弾けてくれてようやくですか待ってましたとわくわくが止まらなかったのですが(鑑賞前は正直猪王山と熊徹が真剣での交戦やってくれるもんだと思ってました)、最後の最後にこれをやってくれたらもうすべてどうでもよくなった……どうでもよかったらあんだけ否定してないけど……楓のことやお父さんのことやら九太の心の揺れやら人間界の闇やらいろいろあったけど……あの抜刀でどんぶり何杯でも食べれる……。九太の刀を構える姿勢……僅かに鞘から顔を出す刀身、その音……長い髪で覆われていた瞳が顔を上げると共に見えて、その真剣な表情のまま、暗闇でほとばしる火花……熊徹と共にあげる叫び声……!!!うっ思い出しても涙が。最高でした。
見せ場がドストレート好みだったらそれだけで許せてしまうところがあるんですな。全体として良いか悪いかはともかくとして。
まあ、そんな感じで、バケモノの子の見せ場であるいくつかの闘いは、噂でもちらりと聴いておりましたが、拘りの感じられるすばらしい出来だったなーと思います!ウォーゲームしかりサマウォしかり、見入ってしまいますなあ……しかも今回は刀描写があってね……おいしすぎますね……めっちゃくちゃ偉そうなんですが……w特にこのあたりは自作にも還元したいなあ……できたらいいなあ……。
一通りだいぶ話したかなあと思うんですが、最後に、キャラクターの優しさとかバケモノと人間界の云々について、少し思ったこと。ちょっと考察じみてるかも。
バケモノの世界は、あたたかいということ。
最初こそ風当たりは強かったものの、口答えをしながら真摯に努力をして強くなっていく九太を見て、次第にバケモノたちは彼を認めていく。最初から九太を穏やかに見守っていたけれど、多分その根幹にあったのは熊徹を心配している心が大きかったというのがあるだろう。ずっと見守り続けた。多々良は足技で熊徹を翻弄したときに九太を手放しで誉めた。二人は終盤、あの小さかった九太がここまで大きくなったか、とまるで親やおじおばのようなことを言う。当然だ。大きくなる過程をずっと見守り続けてきた。九太の青春はあの世界で生きていたのだから。生意気な嫌なガキで、風の日も雨の日も通い続けて、ありがたいなんて顔ひとつ見せなくて……。けど九太はそんな彼等に見守られながら逞しくただしく育ってきたというのを実感していて、百秋坊や多々良ふくめたくさんの人がいたから人間の闇に取り込まれなかったと言う。そんなの泣いてしまうよなあ。
誇らしいなあ。
と呟く。
グッ……ときます。ここのやりとりが好きすぎる……。子供は知り得ない部分。大人だからこその。その瞳には今までの九太が再生されていたのかなあ。視聴者だってその過程を見てきたわけで、更に傍にいた彼等ならそりゃそうだ。九太はそれほど立派に育ったのだから。単純な力だけではなく、心が強くなったのは、あなたたちがいたからなんだなあ……。ほんと、バケモノ側のキャラクターが好きなのだ……。
二郎彦も好きだったんだよなあ。彼もそれこそ最初は九太をいじめていたけど、次第に九太が強くなって、そして素直に彼を好きだと言う。俺、強い奴は好きだ!はあーー純粋!素直!掌クルー!w青年期としても同年代として良き親友でライバルのような立ち位置を見せて、二郎彦も大きくなったなあと。どっちが勝っても恨みっこなしな、みたいな。一郎彦に関してはお兄さんで少年期にいつかお父様のように立派な角と歯が生えてきてお父様のように強くなるんだ的なこと言ったあたりでこれはフラグ……実は弟の方が才能あって立派な角と歯が生えてお兄ちゃんは嫉妬に苦しむフラグだ……と思ってまあその予想は微妙にはずれたんですがw一郎彦と九太が人間という同じ立場でありながらあれほどの差ができてしまったのは、やはり育て方や環境の問題なのか……。でも、猪王山が一郎彦に彼が人間であることをひたすらに隠そうとする気持ちもわからなくもない。むしろ理解できる。猪王山も優しい人だから。一郎彦を傷つけまいと嘘をつき続けて、それで大丈夫だ自分なら大丈夫だ育てられると奢り続けて……膨らんでいく一郎彦の闇を彼は抑えられなかった。熊徹九太ペアとはあまりに立場が違うので比べるもんでもないですが。九太は人間であることを自分も周りも知っていたし。お互い不器用だったがゆえにどうしたらいいもんかわからなくて結局ただ全力でぶつかり合っていてそれが良い方に作用していたのだからなあ。うーんどうともいえないよね。子育てにだって人によってタイプがあるしね。猪王山のやりかたを熊徹はできないし、逆に熊徹のやり方を猪王山はできない。でもなんだろ、ちゃんと反抗期を過ごすことができた九太と、反抗期をくすぶらせて一気に爆発した一郎彦……その差はある……ようなものを感じる……人間はめんどくさいなあ……笑まあ、どちらにしろ一応彦や猪王山の家族にはこれから本当の家族としてやり直して、のびのびと育って欲しいな。人間だから一郎彦は二郎彦よりも、そして猪王山やお母さんよりもずっと早く死んでしまうことになるのではないかと思うしそういうのを考えるとまた悲しくなってくるけど立派になってほしいね……バケモノの方がずいぶん長生きだと解釈してるけど合ってるのだろうか。そういえば一郎彦といえば、彼の闇を引き抜いてから、九太があの楓の紐を彼に渡した場面があるじゃないですか。ジブリ厨の私はもののけ姫でアシタカがサンに村を出てくる際にもらったお守りを渡すシーンを思い出していました。触れている作品が少ないと軽率にジブリにつないでしまいますね。
そして、熊徹ですね。
大雑把で反抗的で、強いけれど孤独で、大人だけれど子供のような熊徹。こんなんだから九太に反発されるし、共に成長していく。熊徹を語ろうと思ったら九太なしでは語れないんだよなあ……というところが、すごくいい。二人で一人前。九歳の頃からずっと一緒で、九太の背はどんどん伸びていき、十七になって山でまともに稽古ができるようになってて、……共に強くなった師弟……あー熱い。遅い!遅い遅い遅い!うるせえ!全力でよく食べる食べる。がつがつもりもり食って飛び出す。あんだけ豪快に食べられるとむしろすがすがしいよね。騒がしいなあ。終始呆れて諦めた目で見つめる百さんと多々良……wそして十七になってみれば、勝った!と九太の方が早く食べ終わっちゃうもんだからね。最初は生卵にめちゃくちゃ渋ってた子がまあ逞しい男子になって……。猪王山一郎彦を静とするなら熊徹九太は動。お前等は鮫か!動いていなきゃ死ぬのか!!はっ一郎彦は鯨……静かな鯨……九太たちは鮫のごとく生きていて……対比……!とまでいうのはさすがに言い過ぎだけどw鮫なんて単語物語中では出てないしな〜。
思いっきりあくびをしたり、ぼりぼり尻を掻いたり、すぐに無理だと投げ出したり、些細なことでキレたり、食べながら怒ってご飯粒が大量に吹き出て汚かったり、にかっと思いっきり歯を出して笑ったり……単純でわかりやすくて、憎めない。そして、強い。体つきがいいですよね〜そういやすごいどきどきさせられたのにここまで一切書くの忘れてた!なんてこった!熊徹と猪王山の筋肉がね!!拘りをみましたね!!私ケモナー的趣味はないんですがあの筋肉には胸が高鳴った……毛で隠しきれないあのおうとつ……特に熊徹なんて軽率に脱ぐもんだから本当勘弁してください。……熊徹は受……(小声)
そして、CMとかでも印象的だった、晴れ渡る青空・入道雲を正面に立つ熊徹の画。
あれは、九太が出て行った直後のしんみりとした雰囲気とした図だったのですね。あんな奴でも父親のつもりだったんだよ、という百さんの言葉。父親。そう、私にとっても、本当のお父さんがいても、熊徹は九太の父親代わりをなせていたと思う。九太も熊徹には大きな恩義を感じていたし師匠であるという他に父親としての面もあったのだと思う。それでも……熊徹は自我が強すぎたのかもしれない。あそこで九太の話をもっと聞いてやればまた変わったこともあったのかもしれない。九太の心に嫌気がさしたのも気持ちはわかる。普段の喧嘩腰、若さ特有の反抗心はそう収まらない。それって、多分特に近親者へ向けられるものなんだけどね……ふう……。ここはつらかったなあ。熊徹は「行くな!」と言った。ああ、もう、いいなあ、熊徹。本当にいい奴だ。行くな!ですよ。あっという間の出来事で追いつけないということもあるだろうけど、その一言で九太を完全に引き留めることはできなかったけど、行くな!のあの声・顔が熊徹にとっても九太がどれだけ大きいものだったかを物語っていて……。行くな!の後の九太があっさり熊徹を投げたのは鮮やかでしたね。あの熊徹は無様だった……九太はあの場面、少しショックだったと思う。なんといっても師匠なわけだし。熊徹のまだ九太が強くないという言葉に偽りは多分、無い。放っておけない。いなくなってほしくない。行くな。九太がいなくなった瞬間、以前の熊徹に戻って……なんだか見ている側としてもむなしくなって……。喪失感が大きかったからこそ、コロッセオの決戦でまた九太が飛び出した時は泣きそうになった。王道。九太にとっても熊徹はめちゃくちゃでかい存在で、強い太い絆で繋がっている。決戦後、近づいて、あーこれは絶対、男の儀式が待っている、と思って構えていたら予想通りその手が交わされ……王道展開に弱いんだってばー。くそう。その後熊徹に真剣が突き刺さり、九太は怒りのまま闇を増幅させ、一郎彦を殺そうとしてしまうけど……チコの声がけと、楓からもらった栞の紐を見て、我を取り戻すと。あの紐もらった時絶対こういう展開が待ってるんだと解ってたんだけど、なんだかこうして楓が彼を救っちゃったんだなあ……と思うと複雑な気分なわけでwあの紐のくだりもちょっと唐突かな?と思ってたので……。
そして熊徹が宗師様に直談判しにいくシーン。神様になるという。もう戻れない。それでもいいのか。いいと言う。あいつには俺がいなくちゃだめだと。九太は強くなったというが、俺からしてみればあいつはまだまだ未熟だ。あいつの傍にいてやらねえと。
ああ、熊徹は。
師匠であり、立派な父親だった。
そして彼は大太刀となりーー九太の胸の剣になった。
熊徹がなんの神様になるのか、私は予想できなかったんですが、大太刀、付喪神となった。ああ、そうやって序盤のあの解説を回収するか、と。ーーまあね、タイミング的にね、流行りの刀剣乱舞を彷彿せざるを得なかったね……(遠目)熊徹で刀剣乱舞のコラやりたい。いや、すいません。展開としては熱い。
そのあたたかさ。強さ。つまり、やはり、九太を支え作り出してきた存在。こんなにいい人に囲まれていたのに……どうして九太はあっさりと人間界に引き込まれて言ってしまったのだろうなあ……彼が人間だから?それにしたって辛辣すぎない?あっさりとした掌返しじゃない?なんかなあ……いや、バケモノたちとしてもね、きっといつかこうなるかもしれないという部分はあったと思う。なぜなら九太は人間だから。どうバケモノの世界で育とうと、人間であることは覆せない。それでもなあ。
――バケモノとはいったい何なのだろう。どういう定義を以てバケモノと呼ぶのだろう。人間でない者?獣人であるということ?彼等は自分たちのことをバケモノだという。自分たちのようなものをバケモノであるということを受け入れているし当然だと考えている。
けれど、私には、人間の方がよほどバケモノに思えてならない。
冒頭で自分たちの都合で九太の心を考えずに本家へと連れて行こうとした親戚。子供を振り回す大人たち。幼い九太が突然「だいっきらいだ!」と叫んで、驚いたように見つめて、しかしすぐに何事もなく動いていく無関心の世界(私でもそうだ)。空白の時間を急いで埋めるように自分で思考を進めていく本当の父親。九太に寄り添い支える優しい存在のようで、自分の欲求に彼を引き込もうとしているように見えてならない楓。そして、人間の闇、という今回の物語のキー。バケモノの世界、人間の世界を脅かしかねない人間の闇。
対するバケモノの世界はどうだったろう。見知らぬ人間である九太に対して、最初こそ風当たりは強かったけれど、熊徹は彼を気に入った。百さんはあたたかく見守った。イヤになることがあっても、食い下がるように、共に旅をした。吸収が良いという才能が発揮されて、いやそれ以前にただ足の真似をするという真摯な努力の末に足を動かせるようになって、手放しに誉める多々良。強くなっていき、九太を認める二郎彦。親子のように成長していく熊徹と九太。周囲の九太をみる目は変わった。九太が強くなったことで、熊徹に弟子入りしようとするバケモノたちはあんなにもたくさんやってきた。彼を育ててきた世界。ひとりぼっちになってしまった彼を支えてきた世界。九太が一郎彦のもとへ向かうにあたって、なにがあっても九太の味方を貫いてきた百秋坊の迫真の叱咤。最初は熊徹を置いていこうとする九太に動揺しながらも、九太の決意を見て、涙をぼろぼろに流して彼を見送る多々良。「誇らしいなあ」ずっと彼を見てきたからこそ味が染み渡る言葉。ここすごく好き。本当に好き。そして九太やほかのバケモノたちと直接過ごすことはできなくなってでも、付喪神となり、九太と共に闘おうと、九太と共にいようとする覚悟を決め、胸の剣となった熊徹。最後、九太を祝うのにあれだけのたくさんのバケモノたちが集まった。
人間界とバケモノ界の差が大きすぎる。バケモノの世界があまりにもあたたかく、あまりにも優しい。九太を強く包み込んでいて、あまりにも魅力的なのだ。バケモノはどっちなんだ。人間の方がバケモノじゃないか?九太が人間側にいくことは最初から決まっていたようなものだからこの際仕方がないけれど。わかっていて、九太がこれから向かう人間の世界の魅力があえて薄れているような構成にしているのだろうか……。人間界の方、もっとどうにかならなかったのかなあ。というかまあ楓ですけどね。主にね。長年育てられてきたあたたかなバケモノ界を手放せるほどの大きなものが、足りない。
タイトル、バケモノの子。単にそのままの意味で読むこともできるけど、バケモノが人間の方に思えてしまうと、意味深に捉えられてしまうなあ。ただの妄想で深読みどころか的外れだとは思うけど。
大体書き終えました。いろいろ批判したりもしたしどうしても許せない部分もあるけれど、でも大好きな場面もたくさんあって、楽しませていただきました。冒頭でも言ったけど、私は好きだったよ。また観たいと思う。ドストレート王道すぎた感もあるけど、まあ、王道好きなので、そこは。バケモノの世界にまた遊びに行きたくなる。九太と熊徹の成長を観たいと思うし、百さんや多々良に会いたい。魅力的なキャラクターが彩る世界はたまらなく愛おしい。
受験云々に関してはうーんだけど、どういう形が一番彼等にとってハッピーエンドなんだろうと思っていたから、熊徹と九太がああして一緒にいられることは、一番いい形だったんじゃないかなあ……。もう拳を交わすことはできないけれど、一番近い場所にいてくれるから。一郎彦を救ってから、会話をする九太と熊徹を見たらなんともいえない気分になってしまった。
刀を抜くことはなくても、九太……蓮のこれから歩む世界が鮮やかでありますように。熊徹と共に歩め。
ここまで読んでくださった方がおられれば、お疲れ様でした。ありがとうございました。