[炎が上がる中で]





 ジョウト地方、紅葉が鮮やかに彩る、エンジュシティ。
 僕はそこに久々に足を踏み入れた。以前に来たのは確か二カ月ほど前だ。
 初めて来たときにはこの紅葉の美しさに心を奪われて舞妓さんにも見惚れて、浮足立った気分にさせられた。
 まあそんな心もジムに挑戦する時には潮がひくように全て冷めきっていたが。ジム内は真っ暗で自分の周りぐらいしか見えなかった。そんな環境下でよくぞ勝つことができたと自分を褒め称えたい
 さすがにジムリーダーのマツバさんと戦う時は明りが付けられたけど。

 ほんとに懐かしいや。


「あれ、颯太くん?」
 自分の名前を聞き覚えのある声色で呼ばれて、僕は後ろを振り向くと思った通りの人で笑顔を浮かべる。

「おー、久しぶり、香織ちゃん」
 見知った顔のその人は、エンジュに住む友人の香織ちゃんだ。
「久しぶり。どうしたの、突然。何か御用?」
「うーん、まあ久々に来たくなっただけだよ。ハヤテが僕を乗せて遠距離を飛べるようになったから」
「空を飛ぶを覚えたの?」

 僕は少し照れながら深くうなづくと、香織ちゃんはすごいっと嬉しそうな声を上げて手を叩いた。

「ハヤテってあのピジョンだよね?」
「うん、今はピジョットに進化したけどね」
「へえーっ」

 香織ちゃんはまるで自分のことであるかのようにころころと笑う。
 彼女は赤の下地に沢山の花が乗せられた鮮やかな模様の着物を身にまとっていた。髪はお団子にして結っている。
 初めてこのエンジュシティに着いた時に非常にお世話になった人だ。彼女は出身地はキキョウシティだが、小さな頃に見た舞妓さんに憧れてこの町に来たという。
 だからエンジュ独特の方言も普段はあまり使わない。それに年もどうやら僕と同年代だから、親近感が湧いたのだ。
 僕はポケモントレーナーの卵で、彼女は舞妓さんの卵で、目指す道は違えど同じ新米同士として仲良くした。

 でもトレーナーである僕よりもポケモンバトルが強かったのを覚えている。苦い思い出だ。
 今ならどうだろうか。僕は確実に強くなった。
 意識すると、なんだか前に出逢った時よりも随分大人っぽくなった様な気がする。

「トレーナーの旅はどうですか?」
 彼女は興味津津といったように顔を少し僕に近付ける。ほんのりと化粧をした顔立ちは可愛らしかった。
 軽くせき込んでから僕は口を開いた。

「なかなか順調にいってるよ」
「うんと、それでジムバッジはどれくらい集まったの?」

 僕は両手を使って、七、というジェスチャーをとる。

「すごい! もうあと一つ集まればリーグに挑戦することができるんだね」
「うん。以前アサギシティに到着した時、ジムリーダーのミカンさんが熱出しちゃってて。今はもう大丈夫だと思うから、次はアサギに行こうと思う」
「あらら、ジムリーダーの仕事は大変だもんね……」

 香織ちゃんは腕を組んで少し深く長い息を吐く。
 そこで一旦会話は途切れ、僕は自然と空を軽く見上げる。今日は透き通るように綺麗な青空だった。薄い雲が遠くに伸びている。
 透明な涼しい風が流れてきて心地よさを感じた。いくらかの紅葉が風に乗って空中を滑る。


「そういえば、颯太くんさ、知ってる? ついこの間、リーグの挑戦者がチャンピオンに」

 彼女の声に反応して僕が彼女を見た途端に、香織ちゃんは言葉を突如遮断する。空の方に目が向いて口を開いたまま呆然としていた。つまりは僕の後方の空だ。
 僕はその視線につられて後ろを振り返り空を仰ぐと、息を呑んだ。そして目を見開く。


 青空には大きな鳥がいた。
 見た事のない美しい鳥だった。

 きっとポケモンなのだろうと思う。けれど見た事のない種類だ。
 遠い所から見ていてもよくその姿が分かった。綺麗な赤い身体に七色の羽根。長い尻尾がさらさらとなびいている。飛んでいく軌跡として煌めきが空に残される。
 青空に映えるその姿は壮大で、心臓が大きく鼓動を繰り返しているのが分かる。全身を痺れるような衝撃が襲う。
 思いもよらぬ出会いだった。
「ホウオウ……」
 香織ちゃんはぼそりと呟く。僕はゆっくりと彼女の方を向き、その単語を呟くように繰り返す。ホウオウ。

「どうして……スズの塔に誰かいる?」
 呟く声は僕の耳にもはっきりと届いている。動揺しているのか目が僅かに揺れていた。ただ視線は逃がさないという風にただ大きな鳥に定めていた。

 それにしても綺麗なポケモンだ。そう思っている時、突然そのポケモンは一度力が抜けたように体勢を崩す。羽ばたきを止めて降下した。
 あっと思わず声をあげた。が、すぐに再び飛び始める。何が起こったのだろうか。大したことではないのだろうか。そう思っている時、ポケモンはくちばしを開いた。
 その姿がここからでもよく分かる。一度空を進むのを止めた。羽ばたきだけはゆっくりとして止めることはない。

 瞬間、そのポケモンは大きな高い声をあげた。声というより大きな叫び、いや、ただの音のようだ。
 思わず両耳を抑えた。地面もその声で小刻みに揺れているように感じた。おさえても耳がじんじんと響く。
 町中に、いやもしかしたらもっと遠くの町にもその声は響いているかもしれない。それほどに大きな声だった。周辺を見ると、様々な人が空を見上げている。皆もちろん耳を塞いで。


 嫌な予感がした。


 ポケモンは声を止める。僕はそっと手を耳からはずす。香織ちゃんは僕の前に足を進めた。

 その時。


 大きな鳥の口から大きな炎が吐き出された。炎とは思えないくらい美しい色をしていたが間違いなく炎だ。吐き出された炎は下方向へと向かう。僕はその途端に悪寒を感じた。
 轟音が町を襲う。
 町のあちこちで悲鳴があがった。僕は唖然となり身体を震わせる。炎は恐らく紅葉が彩る森に向けられた。やばい。

「どうしてっなにが起こってるの!」
 香織ちゃんは悲鳴に近い声をあげる。僕は炎が吐かれた場所を見た。木々が燃えているのがここからでも分かる。空高くに炎が上がっていた。
 ポケモンは一度炎を吐くのを止めるとまた声をあげる。強烈な衝撃に再び耳を塞がざるを得ない。心臓が鼓動を速める。
 香織ちゃんはホウオウ、と叫び続けていた。あのポケモンの名前なのだろう、と今更気付く。あのポケモンはホウオウ。美しく強い炎で森を焼こうとしているのだろうか。
 いつ町に矛先が向けられるか分からない。そう思うと恐怖を抱かざるを得なかった。

「みなさんっ早く逃げてください!」

 大きな聞き覚えのある声が後方でして、僕は素早く振り向く。数メートル先のエンジュジムの前、ジムリーダーのマツバさんの姿があった。
 冷静なマツバさんの表情が険しく、焦りが見えていた。僕はその時はっきりと感じた。本当にやばいんだ。
 エンジュの人々はマツバさんの方を見て、だが足がすくんでいるのか誰も動き出さない。

「早く!! いつ燃やされるか分からない!!」

 マツバさんの叫び声に一人、町の外へと飛びだした。その途端に町にいた人々が走りだした。家の中にいた人も外へ出てくる。町中がパニックに陥っていた。様々な声が入り乱れる。
 呆然としていた僕の足の震えはいつの間にか少し収まっていた。唇を噛みしめる。ホウオウを見上げる。炎をまたいつ出すか分からない。森は燃えていた。
 僕はマツバさんの方へと走る。香織ちゃんが僕の名前を呼んだような気がしたが、今は振り返られなかった。

「マツバさん!」
 人々の狂ったような叫び声の中で、僕は大きな声をあげた。マツバさんはその声に気付き僕の方を見ると驚いたように目を見開いた。
 僕は人の波を避けながら彼の元に駆け寄り、背の高いマツバさんを下から見上げる。マツバさんは動揺していた。

「颯太くん!? どうして今ここに」
「あのポケモンはなんなんですか! エンジュを、エンジュを燃やすつもりなんですか、あの鳥ポケモンは!?」
 マツバさんは少し目をそらし、何か考えるようにしばらく黙っていたが、再び僕に視線を向ける。強い眼差しだった。
 様々な人たちの声が遠くに消えていくような感覚に襲われた。


「ホウオウ」
 マツバさんははっきりと言う。その単語は先程香織ちゃんも言っていた。やはりあのポケモンの名前はホウオウなんだと確信がついた。

「エンジュに伝わる伝説のポケモンだ。僕もはっきり見たのは初めてだけど……どうして暴れ始めたのかは分からない。伝説通りなら凄まじい力を持っている。いや、あの大きさは聞いていたより大きい……あんなのがあのまま暴れたら、すぐに焼け野原だ」
 淡々と話すマツバさんだが、最後に話した内容はぞっとするものだ。冗談ではないことは分かっている。森が一瞬にして燃やされているのをこの目で見ているのだから。
 マツバさんの唇を噛みしめている。見た事のない表情だった。視線をそっと落とせば握られた拳が小刻みに震えていた。

「僕は……住民の避難を優先しないと」
 言い聞かせるようにマツバさんは呟く。
 腰にはボールがある。僕が以前に戦ったポケモン達だろう。だが、マツバさんはジムリーダーとして、エンジュの人々の避難を優先しなくてはならないのだろう。町で最も強い人間として。
 さっき香織ちゃんと話していたミカンさんが頭をちらつく。ジムリーダーの責任が彼等を縛っている。


 僕の中で何かが弾けた。


「颯太くん!」
 香織ちゃんの声が後ろでした。僕のすぐ隣に息をきらして彼女はやってくる。
 僕は少し俯いた顔で、しかし決心はついていた。何も迷うものはなかった。今、行くのは僕しかこの場にはいない。
 腰につけたボールの一つを手に取り、開閉スイッチを押す。ボールが開き光が飛び出す。中からはハヤテことピジョットが出てきた。
 ハヤテは大きな声を威勢よくあげた。香織ちゃんは驚いたように僕を見ている。俯いていた僕の頭は自然と上がっていた。
 マツバさんは何かを言おうと少し口を開いたが、何も言葉は発さない。僕の目を真っ直ぐに見てくる。
 そんな僕を見てマツバさんは一つ頷いた。

「僕が、行ってきます」
 大きな風が横から吹いてきた。

「颯太くん」
 香織ちゃんは僕の名前を呼ぶ。僕は彼女の方を向く。不安そうな顔で僕を見ていた。彼女の白い手が僕の左手に触れた。
 辛そうに眼を伏せて、それから僕の手を握る。その力は強かった。

「……行ってくる」
 僕ははっきりとそう彼女に言う。香織ちゃんは弾かれるように顔をあげて、それから少しだけ頷いた。
 手が離れる。マツバさんに僕は軽く会釈をすると、ハヤテの身体に乗る。この行為にも慣れたものだ。
 ホウオウを見上げる。


「ハヤテ、あのポケモンの元へ頼む」
 そう言った時、ハヤテは大きな翼を広げる。声をあげ、そして翼をはばたかせると同時に地面を蹴り、空へと飛び立った。
 僕は決して離れまいとしっかりとハヤテの身体にしがみ付く。強い風圧が目に襲いかかる。それでもしっかりと前を見る。ホウオウの姿がだんだんと大きくなる。
 改めて大きなポケモンで、近くに行けば行くほどそう強く思った。威勢よく飛び出したのはいいが、その姿に怖気づきそうだ。
 心を強く持たなくては。マツバさんと、もしかしたら香織ちゃんも下で頑張っている。
 ホウオウの動きを止める。戦って止めてみせる。

 至近距離に近付いた時、ホウオウは一つ大きく羽ばたく。
 ホウオウにとっては何のことは無いただの羽ばたきだろう。だが、それは凄まじい風圧だった。ハヤテは大きく斜めによろめいた。僕はハヤテに必死に捕まって何とか耐えた。危うく落とされる所だった。
 ほっとして下を見ればエンジュの町があんなにも小さくなっている。やはり森は燃えている。炎の熱がこちらまで伝わってくる。ここから炎をうったのか。これほどの距離がありながら、あの威力。
 小さな僕がなんとかできるレベルなのだろうか。それに、空中戦は不慣れだ。だんだんと弱気になってくる。
 だめだ。弱気になってちゃ。僕は考えを振り払うように首を思いっきり振る。

「ハヤテっきついけどもっと近づいてくれ!」
 僕は声の限りに叫ぶ。ハヤテは体勢を立てて素早くホウオウの元へ再び戻る。
 ホウオウはくちばしを開いた。やばい、そう感じた頃には炎が飛びだしていた。が、今度は空中だ。地上には届いていない。
 ほっとしているような暇はない。僕は他のポケモンを出す準備として震える手をゆっくりハヤテから離す。片手だけになると落ちてしまいそうになって恐怖が全身を襲う。
 相変わらず凄まじい羽ばたきだ。気を抜けば落とされる。が、ハヤテはそれに負けじと力強く飛ぶ。

 ハヤテはホウオウの下へ身体を潜り込ませる。僕は食いしばっていた歯を離し、思いっきり叫んだ。

「ハヤテ、つばさでうつ!」

 僕はしっかりとハヤテの身体にしがみつく。右手にはもう一つボールを持った。ハヤテは声をあげると、身体を傾けその大きな翼をホウオウの腹部分に思いっきり打ちつけた。
 それからホウオウの横にやってくる。顔をあげて様子を見る。ホウオウは少し体勢を崩した。そして目を僕の方向に向けた。真っ直ぐで強く大きな瞳。
 完全に攻撃の矛先が僕に向かったようだ。これからが問題だ。何も考えていない。けれど、なんとかするしかない。もう後戻りはできない。

 ボールの開閉スイッチを押そうとした瞬間、ホウオウがまたあの大きな声をあげる。遠くで聞いても凄まじいものだったが、近くできくと頭が割れそうなくらいの衝撃だった。
 その瞬間、僕は反射的に左手で左耳を塞ぎ右耳はハヤテの身体に押さえつける。それと同時に、手からボールが滑り落ちる。
 それにすぐ気がつき息がとまる。
 手を伸ばそうとした。が、ホウオウの叫びでとてもじゃないが気が回らなかった。
 エレク! 僕は喉が弾けそうなくらいに叫んだ。ボールの中にいるエレブーの名前だ。エレクが落ちた!

 ホウオウの咆哮が止まる。
「ハヤテ! エレクが落ちた!」
 その声にハヤテは目を大きく開けて僕を見て、素早く下を見下ろす。赤いボールが重力に任せて風に揺れながらどんどん落ちていく。
 ハヤテは旋回すると下に向かって高スピードで飛ぶ。僕は振り落とされないように、ただ眼だけはボールだけをはっきりと捉えた。
 ハヤテのスピードは勿論速い。だが、僕が乗っていたらもっと速いだろう。速いとはいえ明らかに僕を庇った飛び方なのだ。
 息を止める。このままじゃあ森の中に入っていく。赤々と燃えているところへ。もう我慢が辛い大きな熱が僕に襲いかかる。同時に信じられないほどの煙に目に涙が溜まる。目が痺れて痛い。
 
 炎の中、あそこに入ってしまえばいくらなんでも救出は不可能だ。やばい、そう叫ぶ。ハヤテは少し加速する。もうあと数メートル。まだ届かない。まだ無理だ。このままじゃ火の中に飛びこむ。
 エレク! 叫ぶ声も炎の嵐でかき消されて僕の耳にも聞こえない。


 その時。


 銀色の鳥が僕の前を過ぎ去ったと同時にボールの姿は消えた。
 ハヤテは驚いてスピードを少し緩め旋回、上へ少し飛び炎から離れる。煙の渦から回避した。熱で僕の肌は焼けるように痛かった。何度も瞬きをして煙の痛みを弾き飛ばす。零れた涙を手で拭う。
 エレクの入ったボールを取ったのは――銀色の固い身体をしたエアームド。そしてその上に乗っているのは、女の子だった。僕と同じくらいの年だろうか。
 エアームドは炎から随分離れたところに飛んでいき途中で止まり、僕の方に頭を向ける。

「ハヤテ、エアームドのところに」
 僕はそう指示すると、ハヤテは軽く頷いて再び上へと羽ばたく。エアームドの傍にあっという間に来る。とはいってもある程度の警戒は持って、数メートル離れている。
 茶色の髪に白い帽子を被った女の子の右手には、モンスターボールがあった。恐らくエレクだ。女の子は強気な目で僕を見つめる。
 僕はその強い瞳に若干怖気づく。
 なんだろう、僕とは大して変わらない年齢に見えるのに、威厳というか、なんだろうこの子。

「気を付けなよ。ホウオウにそんな簡単に近づいたら、すぐやられるよ」
 女の子は突然にそう喋るとエアームドを僕に近付け、ボールを差し出す。僕は押されるままにそのボールを受け取る。
 そうすると少しだけ彼女は笑って見せて、すぐに顔を引き締めホウオウを睨むように見上げる。

「あたしはあそこに行かないと」
 ホウオウに目を向けると、羽ばたきを続けているだけで今は何もしていないようだ。いや、くちばしを開けてその口の中で炎が渦巻いている。
 その眼は先程攻撃を仕掛けた僕の方へと向けられている。


「ホウオウはあたしが何とかする」
「え」
 女の子の言葉に僕は思わず声をあげる。女の子のホウオウを見る目は本気だった。

「あたしがホウオウを呼びだしたの。こうなることは予想してなかったけど、多分解散を信じられないで悪あがきしてるやつらの仕業だ」
 何をこの人は言っているんだろう。僕にはいまいちピンとこないことばかりが彼女の口から吐かれていく。

「まあ、多分そっちは炎にやられただろうけど――来るよ!」
 叫んだ女の子の声に僕は身体を震わせる。彼女の話に集中しすぎてホウオウを見てなかった――その時、ホウオウの口から凄まじい炎が発射された。もちろん僕等の方へだ。
 速い。あっという間に大きな炎が塊となってやってくる。とにかくでかい。ハヤテは咄嗟に横に動き必死に炎を避けようと空を滑る。熱さで頭がどうにかなってしまいそうだ。それより本当に、死んでしまいそうだ。
 恐怖が僕を襲う。とにかくハヤテにすがるしかない。僕には何もできない。体勢を低く取り、少しでもハヤテが速く飛べるようにする。

 目をちらりと横目に見る。エアームドは少し前を飛んでいた。ハヤテよりも速い。女の子の帽子が取れていた。森の中に消えたか、炎にのまれたか分からない。
 炎の轟音が後ろから雪崩れ込んでくる。ぎりぎり避けれたようだ。女の子が言わなかったら、のみ込まれていたかもしれない。そう思うとぞっとする。
 ハヤテのスピードが落ちる。炎は無事に避けれた。あの炎は威力は強いがあまり長時間は吐けないようだ。
 僕は額の汗をさっと服の裾で拭いた。女の子は僕の隣に素早く来る。

「お願いがある」
 彼女は早口で言う。
「あの炎の消火をお願いできる?」
 僕は息を止め、女の子の横顔を見つめる。女の子は僕の方をさっと見た。

「さっき言ったでしょ。ホウオウはあたしが呼びだした……あたしに責任があるの。町に影響が行く前に、捕まえる!」
「つっ捕まえる!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。女の子は深く頷いた。本気のようだ。まじかよ。何言ってんだこの人!
 捕まえるってあの捕まえる、だよな。ボールにあの巨体を収めるってことか。ホウオウもポケモンだからできるって?
 いくらなんでも、だ!

「わかるでしょ。ホウオウを倒せばホウオウは飛ぶ力が無くなって下に落ちる――下にいる生き物が潰される。放っておけばこの辺り一帯が焼け野原。捕まえるしかない!」
「そんなことできるのかよ!」
 あっちが敬語じゃないんだ、こっちも敬語じゃなくていいだろ!
 いやそんなことより、確かに彼女の言う通りだ、言う通りなんだけど、無茶だ。

「あたしはやる。森をお願い。あの炎は特殊な炎だから、根気よくしないと多分うまく消せないよ」
「一人でやるのか。あのホウオウを相手に!」
「当然!」
 女の子はショルダーバッグから一つモンスターボールを出す。それを開くと、光が飛び出して形を作り出し、出てきたのはハクリュー。
 本とかでは見た事があるけど、実際に見るのは初めてだ。大きい。綺麗な身体をしている。

「ハクリュー、雨乞い!」
 そう女の子が叫ぶと同時にハクリューは美しくも強い声をあげて、頭についた針のようなところを光らせる。
 その光は数秒後天に突き刺すように上へ伸びる。すると、その光に集まるように灰色の分厚い雲が上空に集まってくる。
 空にいる僕らよりずっと高い場所、あっという間に雲が光を吸いこみ空を覆い尽くす。太陽の光が遮断され、薄暗くなった景色。
 僕の頭に水が落ちる。それに気付いた瞬間に雨がだんだんと激しくなっていく。
 全身が雨で濡れて締めつけられていく。冷たさが肌を伝わる。瞬きを積極的にしないと目をうまく開けていられなかった。

「お願い。今この場で頼めるのは君しかいないの。雨乞いで消しやすくしたから」

 相変わらず早口で喋る女の子。こうして話している時間も彼女にとってはもったいないのだろう。考えている暇はないのだ。
 エアームドのスピード、ハクリューの力強さ、判断力、様々な点で僕より彼女は優れている。
 僕は唇を噛む。雨が僕等を叩く。濡れる髪、その中で光る彼女の瞳。
 答えは初めから決まっていたんだ。


「……分かった」


 そう僕が答えると、彼女は雨の中で優しく笑った。大きく横にカールしていた髪は雨で落ち着いている。前髪が髪に張り付いている。
「じゃあ、よろしくね」
 言葉を滑らせると、彼女は上を向く。ホウオウは雄たけびをあげる。雨のおかげかそれとも慣れたからなのか、その声が少し小さくなったように感じた。
 ひるむことなく彼女は軽く息をついた。

「あのっ」
 僕の口は勝手に動いていた。

 女の子は少し顔をこちら側に向けて、何、と呟くように言う。
 僕は高鳴る心臓の音を余所に、少し間を置いてから口を開いた。

「名前は?」
 それを聞くと彼女は顔をぽかんとさせると、その数秒後に微笑んだ。


「コトネ」

 そう言った彼女の声は雨の中で聞きづらかったけど、確かに僕の耳に届いた。
 それから彼女は僕に背を向けると、エアームドを飛ばせ、そしてハクリューと共にホウオウの元へと空を真っ直ぐに走る。
 とても小さな背中なのに、なんだかとても大きな力を感じさせられた。彼女だったら、ホウオウを捕まえられるかもしれない。そう思ったのだ。いや、信じるしかない。コトネなら――捕まえる。
 僕は後ろを振り向く。ハヤテはそれに合わせて方向転換をしてくれた。激しい雨の中で視界はかなり悪い。が、炎は未だに燃えている。
 手持ちには水ポケモンがいる。シャワーズのルーイだ。それに加えてこの雨。きっと消せる。

「ハヤテ、いくぞ!」
 僕は自分を奮い立たせるようにそう叫ぶ。ハヤテは声をあげ、燃える森へと向かった。



 感じられる熱の温度が段々とあがっていき、煙の所為で目を開けていられるのも困難になってくる。なんて炎だ、これだけ雨が降ってておさまる気配がない。
 熱風に煽られながらハヤテは少しずつ軌道を傾けていき、まだ燃えていない安全な場所へと潜っていく。
 ようやく見えてきた地上。が、森はあまりに鬱蒼としているために入りこむ隙間が見つからず、ハヤテは少し動揺し始めた。
 が、時間は無い。

「ハヤテ、僕はかまわないから、入ってくれ!」
 力の限り叫ぶと、ハヤテは一瞬僕を見やってから軽く頷いて、森の中へ一直線に飛ぶ。
 近づいてくる木々、かと思うと一気にその中へととびこむ。枝や葉が容赦無く僕やハヤテの身体を傷つけていく。
 僕はまだいい。まず突っ込んでいくのはハヤテの頭だから一番心配なのはハヤテだ。けれど勇敢にもハヤテは怯むことなく突っ切っていった。
 背丈が高い木々の枝を越えるとようやく地上に辿りつく。短い草むらと沢山の紅葉で覆われた地面に僕は跳び下りる。
 その直後ハヤテは大きくよろめいた。

「ハヤテ!」
 僕は慌ててハヤテを介抱する。ハヤテの毛並みはボロボロで、顔のあちらこちらに切り傷ができていた。顔だけじゃない、翼も身体もぼろぼろだ。
 体力も相当消費したようで荒い呼吸をしていた。強く鋭い瞳が弱弱しく光る。

「……ここまでやってくれてありがとう。ゆっくり休んでくれ」
 そう言い聞かせるように僕は言い、少し微笑みかけるとハヤテは合わせて少し笑って細い声を漏らした。
 僕は腰のベルトに付けている空のボールを取り出し、ハヤテにかざす。開閉スイッチを押すとボールは開き、跳び出した光がハヤテを包み込み、収縮してボールの中にハヤテと共に収まる。
 お疲れ様、と僕は呟くとそれを元の位置に戻し、前をきっと睨みつけるように顔を上げた。

 上からまた咆哮が鳴り響き、僕は雨の中激しく瞬きをしながら上を見上げる。森の中からはよく見えないが、時々聞こえてくる音から何となく状況は分かった。
 こうしている間にもコトネは戦っている。炎が上がっている。僕が突っ立って事態がおさまるのを待つわけにはいかない。
 僕は熱が激しい方向へと足を向けて思いっきり走り始める。雨で地面は濡れて、加えて散らばる紅葉のおかげで思わず滑りそうになる。
 体勢を崩しながらもただ懸命に走り、走りながら右手でまたボールをベルトから外す。

「ルーイ!」
 名前を叫んでスイッチを押し、また中から光が跳び出した。瞬く間に身体を形成していく。水色の身体、魚のような力強い大きな尻尾、大きな耳のシャワーズのルーイ。
 綺麗な声をあげながらルーイは僕の隣に来て同じく走りだした。ボールの中から状況を知っていたのだろうか、やる気満々といった風に顔は引き締まり目が大きく開いている。
 炎の姿が目に映る。熱に耐えられるぎりぎりまで近付くと急停止して、腕を振り上げた。

「水鉄砲!」
 技の名前を言い放つとルーイは体勢を低くし、直後大きく開いた口から勢いよく大量の水が跳び出す。
 行き先は燃え上がる炎の足元。上を狙った所でおさまる気はしないのだから。降り続ける雨の助けもあって、いつもより威力があった。
 けれどやはり水鉄砲は威力が元々低いせいか、あまり効果は無い。もう一つの水タイプの技で波乗りを覚えているルーイだけど、この状況下で波乗りはやりづらい。雨と自らの生み出す水によって一応使えるには使えるが、使えば僕も流される。
 徐々におさまりつつあるのは分かる。けど、こんな調子じゃいつ終わるのか分からない。



「ランターン、ハイドロポンプ!」
「モニ、バブル光線!」

 二人の声が聞こえて振り返ったのとほぼ同時に、轟音をまとった凄まじい水とスピードのある無数の泡が僕の両隣を過ぎ去り、炎に跳び込む。
 あっけにとられながらその声の元を辿ると、よく見覚えのある顔に目を丸くした。

「マツバさんっ香織ちゃんまで!」
 僕の視線の先には、頼もしい味方が現れたようだ。マツバさんは口元に笑みを浮かべ、香織ちゃんもほんの少し白い歯を見せた。
 その隣にはランターンとニョロトノがいる。二匹ともそれぞれ技を発動している途中で、懸命に消火活動を行っていた。
 二人とも少し小走りで僕に駆け寄ってくる。驚きの余りに口をぽかんと開けたままの僕に対して、二人は顔を引き締める。

「住民の避難はジムのトレーナー達に任せてきたんだ。やっぱり、僕はエンジュが燃えていくのを黙っているわけにはいかない」
「私も、エンジュの力になりたい。そのために来たの」
「マツバさん、香織ちゃん……」
 交互に二人を見ながら僕は感嘆の声をあげる。本当に心強い。かたやジョウトの一ジムリーダー、そして香織ちゃんも相当の戦闘の力を持っているのだから。
 僕はこんな状況であるにも関わらず弾む心を押さえて、再び炎と向き合う。ルーイとランターン、ニョロトノが頑張っている最中だ。
 三匹はそれぞれ別々の位置へ技を放ち、炎を少しずつだが治めていく。
 中でもマツバさんのランターンの力は凄まじく、僕の何倍ものスピードで消していく。元々の技の強さもあるだろうけど、流石ジムリーダーと言った所か。

「マツバさん、水タイプのポケモン持ってたんですね」
 僕は感嘆のあまりにそう聞いてしまう。それにマツバさんは苦笑する。
「僕はジムリーダーである前に一人のトレーナーだからね。ゴーストタイプが専門だけど、そりゃあ他のポケモンも持ってるさ」
 そう言われてみればそうか。僕は一人納得する。

「あれ」
 僕は声をあげた。少しずつ雨が弱まってきていた。雨乞いの効果が無くなったのだろうか、いや幾らなんでも早過ぎる。
 顔をあげてみると僕は息を詰まらせた。遠く木々の隙間から若干見える空は、雨が止むどころかむしろあっという間に晴れてきている。
 分厚い濃い灰色の雲の隙間から眩しい光が差し込んで、雲が捌けられていく。見えてきた透き通るような青空。それが何を意味するのか理解するのに大した時間を要さなかった。

「日本晴れか……っ」
 同じく空を見上げていたマツバさんが憎々しそうに呟く。その言葉の通り、これはポケモンの技、日本晴れだ。
 この周辺にいてこの状況で日本晴れを繰り出そうとするポケモンは、思い当たるに一匹、ホウオウしかいない。
 ここまで順調に来ていた筈の消火活動のスピードが目に見えて一気に遅くなった。三匹の技の威力が落ちたのに加えて、天からの水も消えたのだから当たり前だ。
 逆にホウオウの放った炎は少し活気を取り戻したように見える。なんて炎だ、改めて心の底から痛感する。
 また焦りが僕の中でゆっくりと回り始め、心臓の鼓動を速めていった。
 しかしその後、また周辺が陰り始める。僕等は息を呑んで天空の様子を見つめた。そうしているうちに再び僕の身体に水滴が落ちてくる。
 雨乞い。
 コトネのハクリューだ。間違いない。

 そうだ、この場で誰よりも必死に頑張っているのはコトネだ。
 思えばあれから轟音はあれど、地上に炎が落とされた記憶は無い。ここからはよく見えないから確実とは言えないけど、きっとコトネのポケモンが全て撃墜しているんだ。
 大きく跳ねる心臓の音が、自分でも聞こえてくるようだ。小刻みに震える手を強く握る。
 僕は何もすることがない。頑張っているのは僕じゃなくてルーイだ。ただ火が消えていくのを信じて待つことしかできない。
 それでも、信じるしかないんだ。
 僕にできることは今、これしかないんだ。

「ルーイ、頑張れ!」
 僕は励ましの言葉をルーイに送る。雨の打つ音と炎の盛る音に消え去らないように、大きな声で。
「颯太くん」
 直後の香織ちゃんの声に僕は振り返る。瞬間に僕は息が詰まりそうになった。香織ちゃんは強くも不安げな表情で、僕を見ていた。
 雨の中で彼女の瞳はやけに強く光っているように見えた。

「颯太くん一人で、戦ってるわけじゃないよ」
 噛みしめるように香織ちゃんは言葉を丁寧に紡ぎ出す。
 急に雨の音がすごく遠くで鳴っているような感覚に襲われた。全てが僕等の周りの空間から遠ざかって、暗闇に落とされたような、いや、光に跳び込んだような感覚がした。
 しかしそれは錯覚にすぎないわけで、数秒後にまた現実に戻される。頭の中だけはすっきりとしてかえってきた。
「皆で頑張ろう」
 僕を少しだけ見上げる香織ちゃんの姿が、少し大きく感じられる。
「……うん」
 深く頷いた。その様子に香織ちゃんは安心したように頬を緩めた。少しだけ照れくさくなる。

 皆でやるんだ。
 心の中でゆっくりと噛むように呟いて、その言葉は水に溶けるように僕の中に浸透する。

「頑張ろう、皆で」
 自然と口からその言葉が出てきて、それは独り言のようなもので僕は少し恥ずかしくなった。
 けれどそれに呼応するように、香織ちゃんとマツバさんは笑みを浮かべてそれぞれ頷く。
 空高くから大きな鳴き声が響いた。


 ◇


 その後僕は、なんとか火を消し終えた。
 めまぐるしい一瞬のような時間だった。息を安心してつくこともできなかった。香織ちゃんとマツバさんが来なかったらどうなっていたか、想像もつかない。

 コトネはホウオウを見事捕まえてみせた。
 僕達が消火活動を終えた数分後のことだった。
 木々の間から覗いた、あの巨大な身体が小さな掌のボールに吸い込まれていく姿。それには感動すら覚えた。
 そうして一仕事、大きなことを成し遂げたコトネは今、森の中にたたずむ僕の目の前にいる。雨は上がり、眩しい太陽が辺りを照らしていた。

「おつかれさま」
 僕がそう言うとコトネは濡れた顔を少し手で拭って、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
 その手の中にはホウオウの入ったボールがある。

「ちょっと、疲れた」
 その言葉の通り、コトネの肩は重いものが乗っているように落ち込んでいる。赤を基調とした服はびしょびしょに濡れてどこも汚れていた。
 僕は火を消すのに精一杯でよく経緯は見ていないが、僕が想像している以上に大変だったのだろう。僕は一瞬でもホウオウに触れるくらいまで接近したから、少しは分かっているつもりでいるけど。
 けれどそれ以上に彼女は達成感で一杯のようで、ずっと笑っている。こちらまで自然と笑みがこぼれる。
まるで普通の女の子だ。だけど、あんなに強い。僕よりずっと、ずっと強い。


 強くなりたいな。
 ふとそう思う。

 もっと強くなって、強くなりたい。
 漠然とした思いだけど、強く心の中に誓う。彼女のようになりたい。
いつかは、彼女をこえたい。


 どこか遠くで、小さな鈴の音が聞こえたような気がした。







fin.




 POKENOVELの企画にて書かせていただきました。
 といっても大分加筆しましたが。香織とマツバを出す為に。ははは。企画に出した時には消火の場面が全くありませんでした。
 マツバさんすきーエンジュすきーなものですから楽しんで書いていました。ホウオウを暴れさせることができて満足。
 それにしてもハイドロポンプの描写が気に入らないというのも事実なんですけど><ポケモンの技は難しいことを改めて実感しました。
 颯太はこれからコトネの背中を追いかけ追い越せで突っ走っていくでしょう。