[ユーアンドアイ、愛]
−昨日−
ホウエン地方ヒマワキシティ。ツリーハウスが魅力的で、自然と一体化したような町。
この町の子供達は皆自然の中で育ったようなものである。そのためか、幾分やんちゃで怖いもの知らずな部分がある。
子供は大きくなればなるほど外の世界に憧れを持つものだ。大人から子供だけでは行ってはいけないと昔から禁じられている町の外に行きたいと、誰もが沸々と感じていた。
この日、ポケモンセンターの近くで、いつものように子供が数人集まっていた。
和気あいあいと今日の遊び内容についての話しあいを進めているうちに、このグループの中心と言える仕切り役のテツヤがそうだ、と切り出した。
「探検行こうぜ!」
全てはそれから始まった。
−今日−
午後一時。ポケモンセンター前。少し灰色の雲が空にある、影のある天気である。
十分ほど前にここにやってきた女の子、ミナトは長い黒髪をポニーテールにして青いTシャツに白い短パンをはき、水色のリュックを背負っての軽装だった。
誰かが来ることを願いながら、ミナトは少し咳き込んでからリュックの中身を確認するように一度前に持ってきて中を覗く。
「……わっ!」
「わああっ!?」
大きな声と共にミナトの背中を男の子が押す。ミナトの背後からそろりそろりと忍び足で近づいていたテツヤだ。
突然のことにミナトもいつもは出さないような大きな声をあげる。心臓が大きく跳ねて口から跳び出してしまいそうな勢いで彼女は驚いた。
大きなリアクションにテツヤは仕掛けた方なのに逆に驚きつつも、満足気な笑みを隠せない。
とんでもないスピードで鼓動を打つ心臓を押さえるようにミナトは胸に手を置く。少し涙目で睨みつけるようにテツヤを見る。
テツヤはピカチュウのプリントが大きく描かれたTシャツと黒い短パンを身につけ、黒いリュックを背負っている。
「てっちゃん……びっくりしたよ、もうっ」
テツヤのことをミナトはてっちゃんといつも呼んでいて、それは二人の間の親しい仲を象徴していた。
ミナトは少し頬を膨らませる。ごめんごめん、とテツヤは軽く謝った。反省しているようには見えないがミナトもそこまで怒っているわけではないので問題は無い。
その後少し場を落ち着かせるように二人は息をついた。
「暑いなー」
「暑いね」
「今日俺んち夕方まで誰もいないんだ」
「そうなんだ」
「うん。まあいっつも昼は俺遊んでるから、家に母ちゃんいたとしても怪しまれることはないけどな」
「そっか」
「……そういや、こないだ借りたゲーム進んだ!」
「ほんと? やっぱりてっちゃんはすごいね」
「なんかできたんだよ。変なとこに鍵があってさー……なんかお前顔赤くね?」
「え? 気のせいだよ」
「そっか、なら別にいいんだけど」
他愛もない会話が続く。少し間を置いて、テツヤは辺りを見回す。
ポケモンセンターの近くにある時計は、一時三分を指していた。
「あたしたちだけ?」
ミナトが少し不安そうに尋ねると、テツヤは両手を腰に当てた。
「わかんね。ソウタが来るかなって思ったけど、ばれたかな。案外集まらないもんだな」
その後十分ほど彼等は待ったが、他に誰か来る様子は無かった。
行き先はミナトの提案でヒマワキシティの西、一一九番道路に決定する。
そうして彼等の探検は始まった。
水溜りが多く、鬱蒼と茂る草むらと木々が目に入った。近くを流れる大きな川の音が耳に入ってくる。
空には分厚い雲。この辺りの地域は年中雨が非常に降りやすい。昔ヒマワキシティにまで水面が届いたこともあるらしい。
テツヤとミナトは周りをきょろきょろと見回し、普段は見ない景色に心臓が鼓動を速めるのを感じた。
「あっミナト! あれモモンの実じゃないか?」
嬉しそうに声をあげるテツヤの言葉にミナトはテツヤの指差す方向を見やる。彼の言った通り、ピンクの木の実のなる木があった。
テツヤは駆け寄ってその木の元にやってくる。遅れてミナトも小走りでやってくるが、背の高い木で、身長の低い二人は手を伸ばしても指先すら届かない。
「くそお届かないじゃん! あれ絶対うまいやつだろ。俺がいっつも食べてるやつよりうまそう」
「うん……おいしそう」
ミナトは残念そうに言う。真上を見上げてモモンの実を見つめる二人。少し水を被っていて光っていた。
「……よーし!」
テツヤはにやりと笑った。そして後ろに数歩下がると爛々と眼を輝かせて顔を上げる。ミナトは少し嫌な予感がして後ずさりする。
テツヤはスタートダッシュを切る。そして木の一歩手前で少し身体を逸らして木に思いっきり体当たりをした。木が大きく音を出して、同時にテツヤにもダメージが来て彼はその痛みに顔を歪ませる。
肝心のモモンの実は大きく揺れるが、落ちることはなかった。
「てっちゃん、大丈夫!?」
痛みによろけて地面に足をつくテツヤに慌ててミナトは駆け寄る。
「いって……」
苦渋の表情で木にぶつかった部分を押さえているテツヤに、尚更ミナトの不安は大きくなった。しゃがみ込んでテツヤの顔を覗き込む。
が、テツヤは俯かせていた顔をぱっと上げてミナトに思いっきり笑って見せた。
「このぐらいどうってことねえよ! それより、無理だったなーくそお」
悔しそうにモモンの実を見上げるテツヤ。
「仕方ない。登って取るか!」
そう言うとテツヤは少し近くを見回すと、モモンの実の木の隣の木に歩み寄り、低い枝に手をかけた。
腕に力を入れて足を幹にかけると、あっという間に枝に足を乗せた。その後次々と枝から枝へと渡り歩いていく。大分高くなってきたところでモモンの実のある枝に慎重に渡り、ついに手の届くところまでやってくる。
「やった!」
思わず声をあげるテツヤはモモンの実をもぎ取った。
「ミナト、おとすぞ!」
「う、うん」
ミナトは手をかざしモモンの実の受け皿を作る。テツヤはその手に狙いを定めて場所を調節する。
と、その時テツヤは背後で何かが動いた音を聞き、後ろに目配せをすると眼を大きく見開いた。
「うわあ!」
「てっちゃん!?」
驚きのあまり体勢を崩し足を滑らせて、そのまま下へとまっさかさまに落ちる。
突然の出来事にミナトは驚くが身体が先に動いていた。テツヤが地上に叩きつけられるその前に、ミナトは彼の下へとやってくる。直後テツヤがミナトに圧し掛かった。
しかし重みと勢いとがミナトにはあまりに強すぎて、支えきれずそのままミナトは地面に突っ伏す。
「ミっミナトごめん! 大丈夫かっ」
「え、うん、大丈夫だけど早めにどいて……」
「うわ、ごめん」
テツヤは慌てて立ち上がる。安堵したミナトはよろよろと立つ。少し頭に痛みが掠めた。
少し怯えた表情でテツヤは再び木を見上げる。合わせてミナトも見ると、そこには小麦色の固い身体をしたポケモン、コクーンがいた。
表情はあまりよくわからないが、じっと二人を見つめて少し震えている。しかも一匹だけではなくその背後にもビードルの姿が何匹かあった。ビードルは憤怒の表情を露わしていた。
「なんか……やばい気がする」
ミナトは呟いた。
その時、一段と大きな音がして二人は身体を大きく震わせた。
耳障りな大きな羽音が耳に入り、途端に二人の顔が青くなった。その音のする主が何なのかこの状況から分かったからだ。
「てっちゃん逃げよう!」
ミナトは叫び恐怖に動けないテツヤの手を無理矢理ひっぱる。それではっと気がついたテツヤは急いで走り始めた。
少し遅れてから二人の走り去る様子を睨みつけるように現れたのは、彼等が予想した通り、大きな羽と刺を持つスピアーである。大きな赤い眼をぎらりと光らせた。
まだ幼い故に体力が少ない二人はすぐに息を切らす。背中にはそれなりに重い荷物を背負っているのだから尚更だ。
ミナトは頭がふらふらとするのを感じた。が、湧き上がる恐怖が無理矢理にでも足を走らせる。
その時、頭上から水が落ちてきて二人は顔を上げた。灰色の重たい雲から雨が降ってきたのだ。
少し振り向いてみるとスピアーはこちらに向かって飛んできていた。
「てっちゃん、草むらに!」
息を切らせながらミナトは言った。テツヤはそちら側を向くと、彼等の背丈以上もある草むらが生い茂っていた。
迷う暇などなくそこに跳びこむように入る。
雨量が尻上がりに多くなってくる。彼等が草むらの中でも逃げようと走っている最中には、既に土砂降りになっていた。
草むらはうまく彼等の姿を隠してくれたようだった。スピアーは草むらの上を通過した。降りだした雨のひどさから反撃を断念する他なかった。
少しずつスピードを弱めて、途中で止まり耳をすませるテツヤ。よく景色は見えないが、恐らく逃げ切ったのだと思い安堵の表情を浮かべた。
ミナトも立ち止まる。叩きつける雨の音が鼓膜に響き、頭がハンマーで殴られるような鋭い痛みに襲われていた。思わず頭を押さえて、その場に座り込んだ。朝から感じていた寒気が一層大きくなり、身体を大きく震わせた。
その様子に気付いたテツヤは眼を見開いた。
「みっミナト! どうした、あの化けもんはどっか行ったぞ」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃねえだろ!」
そういって少し肩を揺さぶるテツヤ。しかしその行為は逆にミナトを苦しめる。その揺れでまるでミナトは大きく回されているような感覚に襲われ吐き気を感じる。
叩きつける雨の音は大きくお互いの声すらうまく聞こえない。
テツヤの呼吸がようやく安定してきた頃、周りで草むらを掻き分ける音がした。テツヤはミナトに身を寄せて辺りを不安げに見回す。
すぐにその正体を知ることになる。
茶色と白と交互に色分けがされた体毛を持つ、ジグザグマだ。テツヤが確認できる範囲だけでも四匹はいる。
相変わらず呼吸が荒いミナトにはもう走るほどの元気は残されていなかった。
「くそっ」
テツヤは何かこの場を切り抜ける手立ては無いかと急いで見回す。が、背の低い場所からの視界では外の様子は殆ど見えない。
その時テツヤの懸命にこらした視界の中に穴のあいた大きな草の塊が目に入る。
そこに入るしかない、テツヤはそんな考えが頭をよぎった途端、ジグザグマの群れの内の一匹が声をあげた。瞬間、他のジグザグマ達が二人に跳びかかった。
テツヤは大きく眼を見開いた。
「うわあああ!」
叫び声をあげた時にはテツヤの身体は宙を飛んでいた。
ミナトが先に落ち、身体の中にこもっていたものが口から吐きだされる。酸味と苦みとその他わけのわからないものが混じった嘔吐物が地に叩きつけられた。
少し遅れて落ちたテツヤは身体の痛みに声にならない悲鳴をあげつつも、ぱっと顔をあげてミナトに駆け寄る。
「ミナト!」
明らかに苦しげに項垂れるミナトの背をテツヤは軽く叩く。それと同時に視線だけは周りを見て、ジグザグマの様子をうかがう。
草むらの間から黒い瞳がいくつも見てきている。雨粒がますます大きくなりそれだけで痛みすら感じた。もう幼き身体は限界を迎えている。
咳を絶えず出し続けるミナト。呼吸はまともにできなかった。
俺のせいだ。テツヤは心の中で思った。
ミナトの体調が少しおかしいことは何となく気付いていた。そしてミナトから「一一九番道路に行きたい」という言葉を聞いた時に彼は分かったのだ。彼女の目的は単純にこの場所を探検することじゃないということを。昔からよく遊んでいた仲であるために彼女の事情をよく知っているテツヤだから分かった。
小さな少女の背に乗せる右手を少年は強く握りしめた。悔しさに歯を食いしばらせた。
「アブソル、電光石火!」
聞いたことのない女の子の声が雨の中で跳ねる。
テツヤが俯いていた顔を上げて瞬きをした時、鋭い風のようなものが彼の右隣を過ぎ去った。
次に聞こえてきたのは打撃音と、ジグザグマ達の悲鳴。
「え」
草むらの向こうにいたあの黒い瞳が次々に消えていく。倒れたものもいれば逃げ出すものもいた。
あっという間の出来事にテツヤは口をあんぐりと開けた。身体中の震えは止まり、呆気にとられている。
雨だけが相変わらず降り続けている。
「大丈夫?」
後ろから声をかけられてテツヤは後ろを振り向く。
テツヤやミナトより年上の女の子は赤いバンダナを頭につけて、少し長い茶色の髪は雨に濡れていた。全体の服の雰囲気も赤が中心だ。
女の子は二人の様子を見やり、すぐにミナトの様子がおかしいことに気付き傍にしゃがみこむ。
「大変、この子すごく身体が弱ってるじゃない。ちょっとどいて」
そう言われるとテツヤは逆らわずに慌ててその場を少し離れる。すると女の子はミナトを抱き上げ、あのテツヤが見つけた大きな草の塊へと向かいその中に入っていった。
「君も入っておいで。この中なら安全だし雨も避けれるよ」
顔だけを出して女の子は言うと姿を消す。テツヤはぼーっとしていたが急いで女の子の入っていった場所に入る。
草の塊の中は意外にも住み心地が良さそうな内装になっており、広い。テツヤは辺りをきょろきょろと見回した。机と椅子くらいしか置かれていない。
髪から水を滴らせて、大きくくしゃみを一度するテツヤ。鼻水と顔をびしょぬれの袖で拭うと、女の子がミナトを寝袋の上に寝かせているのに気付いた。
「ミナトっ」
テツヤはミナトの傍にやってくる。女の子は赤いタオルでミナトの身体を拭いていた。その間もミナトは苦しげに声を喘いでいる。
「すごい熱」
ミナトの額に手をあてて女の子は苦々しく声を漏らす。
その場にテツヤは座り込んで、俯く。
「ごめんミナト……俺が探検なんて言わなけりゃ良かった。ミナトが風邪ってことに早く気がつかなきゃいけなかったのに、俺、なんにもできなかった……」
呟くような謝罪の言葉に一同は沈黙する。女の子は唇を噛みしめながらウェストポーチを探り、様々なものを出していた。
部屋の中では少し籠った雨の音が叩く。その中で、足音が入口から聞こえてテツヤはそちらをさっと見て口を開けた。
雨水を滴らせながらも美しい白く長い体毛に身を包み、頭にある大きな鎌のようなものが鋭く光る。女の子の持つポケモン、アブソルだ。
「アブソル、ありがとう。ちょっと待ってて」
手を忙しく動かしたままで女の子は早口に言う。アブソルは少し溜息をつくと大きな足を動かし三人の元にやってくる。
足音にミナトは瞼を開け、そして驚いたように口を開いた。
「マシロ?」
ミナトははっきりと言った。
その言葉の意味が理解できずテツヤはアブソルとミナトを交互に見やる。対して女の子は意味が何となく分かったのか、ミナトの顔を覗き込んで苦笑した。
「このアブソルは私のポケモンであって、君の知ってるアブソルじゃないの」
女の子の言葉にミナトの表情に影が入る。
そして女の子の発言によってテツヤはようやくミナトの言った理由を知った。
マシロというのはミナトの父の持つポケモン、アブソルの名前である。
「ミナト……やっぱりお前、お父さんに会いたかったんだろ? 天気研究所にいる、お父さんに」
テツヤはミナトの顔を心配そうな眼で見ながらそう言った。ミナトは視線をテツヤから逸らし絶句する。
女の子は鞄から取り出した、額にはれる冷たい小さなシートをかざす。
「シートはるね。ちょっと冷たいよ」
一度声をかけてからミナトの額にそれをはる。ミナトは氷にも似た冷たさに思わずびくんと身体を震わす。
少し咳の方も落ち着いてきたところである。頭痛は続いているが、少し楽といえば楽になっていた。
女の子はその様子に安堵し、肩の力を少し抜いた。
「良かった、ただの風邪みたいね」
「ありがとうございます」
テツヤは声がうまく出せないミナトの代わりに感謝の弁を述べると、女の子は軽く笑う。
「でも、君達ポケモン持ってないのに、どうしてこんなところで」
「探検のつもりで……遊びの感覚で来たんです。でも、それがいけなかったんだ」
「うーん、まあ気持ちは分かるけどねえ」
女の子はにっこりと笑ってからテツヤの左肩に手を置く。テツヤは座り込んでいる女の子と視線を合わせた。
「我慢すれば出れるから、今日みたいなことはやめときなさい」
口元は笑っているが眼は真剣である。その勢いに押されるように、テツヤは黙って二、三度頷いた。いいこいいこ、と女の子はテツヤの柔らかな頭を撫でてやる。
その後女の子は再びミナトに視線を投げかけた。様子を伺うように顔を見た。ミナトはそれに気付くと少し咳き込む。
「……あの、お願いがあるんです」
ミナトは囁くような声を絞り出す。虫の声同然で、掠れている。その様子にテツヤは思わず身体を震わせた。
女の子は首を傾げながら顔を近付ける。
「リュックの中に、お父さんへの、お弁当入れてるんです」
女の子は軽く頷いて相槌を打ちながら、傍に置いていたリュックに手を伸ばす。引き寄せて中を覗くと、案の定中もびしょびしょだった。あさると一番底にピンクの弁当箱があった。
プラスチック製で中は無事であるようだ。念のために蓋を開くと、なんとか原型を保っている大きな御握りが3つ、無理矢理詰められていた。その横に、小さく折りたたんだ紙も見える。
これ? と女の子は訪ねてみるとミナトは大きく頷いた。
「お父さん、明日まで帰ってこないって……こないだのルネの天気がおかしくなった日から、忙しくて、それで、家にもあんまり帰ってこなくて……疲れてるかもしれないから、どうしても届けたいんです」
「それは、私に届けてほしいってことかな」
ミナトは頭を小さく縦に振った。
「ほんとはあたしが届けたいけど、こんな身体だから……お父さんに、心配かけさせたくないんです」
言い切ってから大きくまた咳き込む。女の子は慌ててミナトの背中をさすってやる。
テツヤは言葉が出なかった。自分が思っていた以上にミナトは父のことを思っていた。
ミナトには母がいない。
二年前、一一九番道路の大洪水が起こったその時、天気研究所の研究として水質調査を行っていた。が、予想以上に水かさが増える量が速く、逃げ遅れてしまったのだ。荒れ狂った波に呑まれ、数日後水死体として少し遠い一一八番道路の浜辺に打ちあがっていたのを発見された。
その後ミナトの父は養育費を稼ぐために懸命に働いている。だが、それは家を長く開けることに繋がってしまった。
幼いミナトは父への思いを募らせた。そして飛びこんできたテツヤの提案である探検。その瞬間、父に会いに行けると思ったのだろう。リスクを負っていても会いたいという気持ちが強かったのだ。
「……事情はよくわからないけど、分かった。お父さんはなんていう名前?」
女の子はお弁当を大切に腕の中に寄せる。ミナトは汗を滲ませながら少し笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございます……リョウです。瀬戸涼です」
「セト、リョウさんね。オッケー、確実に届けるわ。ここから近いし、すぐに行ってくる」
女の子は立ち上がった。それからケンタを見ると小さな頭を撫でる。
「一応アブソルをここに置いていくわ。すぐに帰ってくる。この子の傍にいてあげてね」
「……うん」
テツヤは相変わらず落ち込んだ顔つきでいた。
それを見た女の子は少し顔をしかめて、しゃがんでテツヤに視線の高さを合わせる。テツヤは視線を上げる。
「男の子がそんな顔じゃだめだよ。後悔することなんていっぱいあってもそれが何。もう過ぎた事なんだから、うじうじしててもしょうがないでしょ。今やるべきことをやるの。そして今やるべきことは、あの子の傍にいてあげることだよ」
怒っているような口調だった。実際少し怒っているのだろう。テツヤは唇を噛みしめて、言われた言葉を噛み砕く。ゆっくりと自分の中に浸透していくのが分かった。
「うん」
自然と頷いていた。
女の子は笑った。綺麗な笑顔だった。
「重大な仕事だよ」
「うん」
「病気の人にとって、傍にいてくれる人っていうのはすっごく大きな存在だからね。それだけで力になれるの」
「うん」
「よし」
すっくと女の子は立ち上がりウェストポーチに弁当箱を入れると、背を向けた。が、直後に思い出したようにまた振り向く。
「私の名前はハルカ。君は?」
「えっ、あ……テツヤです。あっちはミナトです」
「テツヤにミナト、オッケー。じゃあすぐに戻ってくるわ」
そう言って女の子――ハルカは今度こそ本当にこの場所から離れた。
「……よし」
テツヤは決心する。苦しみながらも少し落ち着いたミナトの顔の横に身体を持ってくる。
不思議な気持ちに彼は包まれていた。なんだか救済されたような気がしたのだ。
ミナトはそっと瞼を開くとテツヤを見つけ、そうすると安心したように口元だけ笑って見せた。
その笑顔だけで、テツヤは嬉しくなれた。
一一九番道路北西に位置する天気研究所。
その白い建物に走っていくハルカ。先程の自分の秘密基地から距離は眼と鼻の先のようなものであるから、すぐに辿りついた。
雨の中を一生懸命走り、ハルカはようやく研究所の中に跳び込んだ。その音に近くにいた女性の研究員は驚く。
「あれ、ハルカちゃん! どうしたの、こんな土砂降りの中!」
「あ、すいません、ちょっと用事があって……。あの、セトリョウさんはおられますか?」
「セトさん? 瀬戸さんなら、あ、丁度あそこに。瀬戸さーん!」
女性は右方向に向かって叫んだ。その間にハルカはウェストポーチからタオルと弁当箱を出し、まずはタオルで顔を拭く。
その間に呼ばれた男性が気付いて早歩きでやってくる。少し驚いた表情でハルカと女性の元に寄った。
「どうしたんですか、僕に何か?」
ハルカにとって彼は初対面だった。赤の他人であるのに用事があるなんて、彼には思ってもみなかったことだろう。
「初めまして。ハルカといいます。あの、これあなたの娘さんからの預かり物です」
その言葉に彼は目を丸くして、ハルカが差し出した弁当箱をじっと見つめる。しばらく沈黙が続いていたが、彼はその弁当箱を受け取る。
すぐにその蓋を開けると、御握りと小さな紙に驚きを隠せなかった。
「これを、娘が?」
「はい、ミナトちゃんがあなたに。すごく心配されていましたよ。でも……」
ハルカはミナトの体調のことを言うなという言葉を思い出す。
「ミナトちゃん、すごい熱を出しているんです」
「……え?」
リョウは突然の宣告に思わず息を止める。ハルカはきっと彼を睨むように顔を引き締めた。
「仕事は大切でしょう、それはよく分かります。ですが、それでミナトちゃんがどれだけ淋しい思いをしているか分かりますか? 私はさっきあの子と出逢ったばかりですが、それぐらいよく分かりました。……私の父もいつも忙しいですが、病気の時はつきっきりで看病してくれました。それがどれだけ嬉しかったか……」
吐きだしていく言葉は滝のようだった。それは突き刺さる様に形の無い衝撃としてリョウに届く。
ハルカは一度自らを落ち着かせるように深呼吸をした。
「……今ミナトちゃんはこの近くにいます。ちょっと遊んでいたらこの雨やらで風邪をこじらせたみたいで。この後私が家にお送りします。できるなら……家に帰ってミナトちゃんの看病をしてあげてください」
早々と言い切るとハルカは腰を折り礼をした。
呆気にとられたリョウは慌てて礼を返す。顔を上げたハルカはにっこりと笑った。
「それでは、失礼します」
ハルカは傍にいた女性の研究員にもお辞儀をすると、すぐに出ていった。
あっという間の風のようなできごとにリョウはしばらく唖然としていたが、隣の女性に肘をつかれると我にかえる。
その後御握りをじっと見つめ、震えた手で一つ掴む。大きな彼の手にすっぽり収まった。
それをかじり噛む。米の甘さとほんのり塩辛さが口の中に広がる。塩御握りのようだった。数カ月前に自分が御握りの作り方をミナトに教えたのを思い出した。
味は彼にはとても美味しく感じられた。世界一の御握りだと思えた。そして自分は世界一幸せな人間だと思えた。
熱いものが彼の目頭に上ってきたが何とか耐える。
次々とかぶりつきあっという間に一つ食べ終える。指についた米まで舐めると、御握りと弁当箱に挟まれていた小さな紙を取り出す。
何重にも折られていて、それをゆっくりと開いた。開いてももちろん小さな紙だった。
“おとうさん おしごとがんばってね みなと”
そう赤の色鉛筆で書かれた言葉。
リョウは唇を噛みしめ、手紙を持った手で軽く目を拭う。
まだ拙い文字だ。だけど思いはしっかりとこもっていた。ちゃんと伝わった。
「瀬戸さん」
女性が少し心配そうに顔をのぞかせる。リョウは顔を上げて女性の方を向いた。その目は決心したように強く光っていた。
「……すみませんが、もう今日はこれであがらせてもらいます」
その言葉に女性は少し驚きながらも、先程の会話の一部始終を聞いていたから、むしろ安堵の表情に包まれた。
女性はリョウの背中を押す。
「行ってあげてください。他の人には私から言っておきますから。早く家に帰らなきゃ」
満面の笑みを浮かべる女性の顔にリョウは苦笑した。そして体の向きを変えて纏っていた白衣を脱ぎながらきょろきょろと周りを見回しそれを目にとめる。
「マシロ、帰るぞ」
白い床に寝そべりリラックスしていたアブソル、マシロはその言葉を聞くと瞼を開きゆっくりと立ち上がった。
丁度良いタイミングで外の土砂降りもやみつつあった。
fin.
POKENOVEL夏企画にて「探検」というテーマの元書かせていただきました。
今回の企画は夏休みだったというのになかなか話が思いつかず大変でした^^;本当はもう少し書きなおしてから出そうと思っていましたが、めんどいやなんでもないですよゴホンゴホン
そのうち書きなおすかもしれませんね。まあとりあえずです。
話的には家族の愛情をテーマにしたものです。歴代主人公勢の中でジムリーダーを親に持つのはRSEだけなので、ハルカに出演してもらいました。
タイトルもけっこう思いが入っていて、[You]と[I]には様々な人を入れる事ができると思うのです。私の中での組み合わせは勿論ミナトとリョウ、そしてテツヤとミナト、そして隠しでハルカと父センリです。