[君へ送る僕なりのメッセージ]




「わあ、綺麗」
 彩は歓喜の声をあげた。
 僕等の眼前にはどこまでも広がる先の見えない海と眩しいほどに鮮やかな青空が広がっている。真っ白な雲と空のコントラストが美しい。遠くから車の走る音とカモメの鳴き声が聞こえてくる。
 青と白しかない僕等の立っている世界を僕は何度も見てきたけど、いつもより幸せでいられるのは彼女の存在のおかげだろう。
 スカイアローブリッジ。イッシュ地方の中で最も長く、最も僕が好きな橋。水色と白を基調としたスタイリッシュなデザインで、イッシュの文明の発展を象徴している。
 他にもイッシュには橋があるが、僕は小さいころからヒウンで生まれ育ってきたこともありこの橋が一番身近なものだった。
「良い天気でよかったね、良樹」
 彩は手すりから身を乗り出しながら言った。僕はコクリと頷く。
「彩はスカイアローブリッジは初めてなんだっけ」
「うん。二五歳になってようやく初めてだなんて、笑えるよね」
「そんなことないさ」
「そうかなあ……うん、ありがとう」
 くるりと振り返って僕と向き合う彩。そして傍にやってくる。濃い茶色の長い髪が強い潮風に乱されている。それを手で必死に押さえていた。
 強い海の匂いに混じって彼女からふんわりとした良い香りが漂う。思わず鼓動が速くなってしまう。
「それより、写真撮るって言ってたじゃない」
「ああ、そうそう、そうだった」
 僕は慌てて鞄から黒いアナログの一眼レフカメラを取り出す。鞄が一気に軽くなり、肩を回す。父さんが使っていた古いもので、デジタルカメラが主流になったご時世には少し珍しいものだ。だけどこれは僕と父さんの思い出そのもので、大切なものだ。父さんから譲り受けてどれだけ経っただろうか。
 フィルムはもう入れてある。レンズの蓋を開けると僕はカメラをきちんと持ち、彩を見る。対して彩は少し不安そうに少し僕を見上げる。
「壊れてたんでしょう? ほんとに直ったの?」
「直った直った」
「ほんとかなあ……もう無理だって電気屋の人が言ってたのに。写したふりして、僕の心に写りました、なんて寒いことやめてね」
「だから直ったってば」
 僕は少し顔を引きつらせつつも笑った。そして彩に正面に立つよう手で促す。彩は戸惑いながらも向こうの手すりに寄る。
 シャッターが切られない程度にボタンを忙しく軽く何度も押しながら、彩がちゃんと立ってくれたことを確認するとカメラを構える。
 小さなファインダーを右目で覗き込み、大きな空と海を背景に佇む彩を視界に入れる。彩は少し緊張しているのか背筋を伸ばし、固い表情を作っていた。
 それを見た僕は思わず笑ってしまう。
「もっと楽にしてよ」
「そんなこと言われても、なんかいざとなったら緊張しちゃう」
「リラックスリラックス」
「良樹気持ち悪い。変態ー」
「なんでそうなるんだよ」
「だってこっちから見るとカメラの下でにやにや笑ってるようにしか見えないよ」
 そう話していると自然と彩の顔が自然と解れてきた。いつもの少し猫背な雰囲気に戻る。
「ねえ、これピースとかした方がいい?」
「どっちでもいいよ。好きな方」
「それ一番困るよ」
「早く決めちゃって。もう撮るよ」
「えー」
 彩は唇を尖らせ、両手を身体の前で繋ぐ。ピースはしないのかな。僕は本当にどっちでも良かったからいいんだけど。
 僕は若干移動したり絞りを調整したりして良い場所を探す。アップにするか全身を撮るか。ずっと心の中で迷っていたけど、結局上半身を映すことにした。
「撮るよ」
「うん」
 彩は風で大きく動く髪を鬱陶しそうに耳にかけると、僕に向かって微笑んだ。柔らかな白い肌、ほんのりとピンク色の頬、本人は気にしている一重の瞳、全て好きだと世界に叫べるよ。恥ずかしいからしないけどさ。
 鮮やかな青と白の中で、彼女は笑う。
 僕も、笑う。
「はい、チーズ」




 嘘ばかり並べている僕を彩は許してくれるだろうか。
 僕は夕方油絵の具の匂いが充満した自分の部屋に戻ってから、鞄にしまっていたカメラを取り出す。そしてそれを数秒間見つめると、構えて散らかった部屋の全貌をファインダー内に閉じ込めてシャッターを切った。
 シャッター音はした。けれどフィルムを現像しようとしたところで、その映像は写っていないだろう。
 そう、写っていないのだ。
 彩が僕に指摘した通り、このカメラはもう御陀仏状態である。写らなくなったと気付いたのは二ヶ月前のことだ。僕は機械に詳しくなかったから直してもらいに走った。が、返事はノーだった。もう直すことはできない、と。
 僕に向かって笑って見せた彩の顔は、写真として残せなかったのだ。
 けれどやはり彩が僕に言ったように、僕の心には写っている。どうしてここまで見抜けるのか分からない。思わず笑ってしまう。あの時だってもう少しでボロが出てしまうところだった。
 僕は目を閉じもう一度あの時の風景を頭の中に映し出す。まるで暗い視界の中で、瞼の裏にその様子が映るようだ。
 目を開けてカメラを傍にあるテーブルの上にゆっくりと置くと、同じテーブルの上に置いたままだった真っ白いキャンバスを手に取った。それを部屋の中央にあるキャンバスを置くイーゼルに立てかける。椅子にかけていた黒いエプロンを着て、僕は椅子に座り白いキャンバスとご対面する。
 深呼吸をして頭の中をクリアにする。耳に入ってくる音は何もない。都会の喧騒もこの部屋には届かない。そういう位置を選んだのだから。
 嗅ぎ慣れた油絵独特のシンナーの匂い。部屋に完全に沁み込んでいて換気をしてもそう簡単に消せないこの匂いは、僕を落ち着かせる。
 隣にあるミニテーブルにおいてある木炭を手に取った。
 キャンバスに、黒い一つの線を引く。

 写真ではなく代わりに絵を見せたら彼女は喜んでくれるだろうか、それとも許さずに怒るだろうか。
 分からない。でもこれは僕から君へのメッセージ。言葉よりも何よりも、僕が思いを伝える事のできる手段。

 絵が完成したらごめんね、と謝ろう。
 それから僕の思いを伝えよう。
 地道に貯めてできたお金で買った、指輪と共に。






 fin.




POKENOVEL様秋企画にて書かせていただいた作品です。
テーマが二つあって一方が橋だったわけでこれを書き、実際には2000文字以内のSS部門に投稿したので投稿したものはもっと短いです。
感想で殆どの人にリア充と言われましたがまさにそんな感じの作品だと思いますwというかそれ以外にあまり言うことが無いというか。
以前書いた短編一次創作の「ひかり」と設定がかなり似ているということに後で気付きました。油絵が好きなのですよ。きっと今後も油絵の描写はするんだろうなと思います。好きですから(キリッ
スカイアローブリッジはBWの橋の中で一番好きな橋です。初めて訪れたときの衝撃は凄かったですね。作中でイッシュの文明の発展の象徴と書きましたが、この橋は正にポケモンの発展の象徴の一つだと思います。それくらい感動しました。大好きです。