Page 1 : 本日は晴天なり






 太陽が長い時間を経てようやく顔を出す。眩しい光が辺りを真っ直ぐに照らしていく。
 そのあまりの眩さにその少年はかったるそうに、苛つきつつ深緑の眼を細めた。冷たい空気が創り出した風に身を震わせ思わず縮こまる。
 何の音もしない。いや、音はしている。
 彼の乗っている真っ白な美しい毛並みのポニータが、乾燥した地面を優しく蹴りながら歩いている音だ。
 そのポニータの瞼も彼と同じように少し閉じぎみである。太陽のせいか、あるいは眠気のせいか。恐らくの原因は二割が朝の太陽に対する眩さで、八割は眠気である。時々何かを訴えるように頭だけ振りかえっては少年の方に大きな目を向ける。ポニータの欲求は彼に痛いほど伝わってくるが、彼は無視を貫くだけ。少年は逃げるように視線を右の方へ逸らした。
 照らされた風景はなんとも平凡で静かな田舎である。
 田圃ばかりがただひたすらに辺り一面に広がっており、変わったものは何もない。それが尚一層眠気を増幅させるきっかけとなっている。
 道も舗装されているわけもなく、細い砂の道だ。だがポニータにとっては舗装された固くて冷たい道よりも、砂や草原などの自然のままの道の方が好みなので、好都合である。
 だがそんなことも言っていられないくらい、ポニータはいよいよ不機嫌そうにあからさまに鼻息を荒くしている。
 少年はそれを見て見ぬふりをし、少し眠たげに軽いあくびをした。

「何もないところだな……」
 彼のその言葉に賛同するように、ポニータは眠たげな声を細々とあげ、ゆっくりとうなづく。
 少年はその様子にそっと微笑んで、ポニータの柔らかな頭を優しく撫でる。そして、もうすぐだから、と耳元に声をかけた。
 若干不満げな表情のポニータだが、諦めたように溜息をついた。
 ふと、少年の目にある家が目に入る。地震が起これば、あるいは突風が起こればすぐに倒れてしまいそうな小さなボロボロの木造の家である。恐らく近づけば風で軋む音が耳に届くだろう。
 詳細を述べればその家自体ではなく、その家の前にいる人に、目がとまった。
 子供だった。
 七、八歳といったところかくらいの、小さな女の子である。黒い髪の毛は整えておらず、自由奔放に跳ねていた。泥で汚れた服を着ていて、靴も靴下も無く裸足である。可愛らしい顔も遠くから分かるほどに泥で汚れている。真剣な顔つきでせっせと身体を動かし何かをしているようだが、何をしているかまでは遠くにいる少年の瞳に明確に映らなかった。
 けれど自然と理解はできた。ふうと溜息をつく。

「ここも、か」
 その声は憐れみでも悲しみでもなく、
 諦め、に近かった。


 *


 ―今日もウォルタはとてもよいお天気に恵まれ、絶好のお出かけ日和となるでしょう―

 小さな部屋の机の上にある小さなラジオの中からお姉さんが、恐らく満面の笑みと共に言葉を発している。
 そしてその声に呼応するように、窓からのぞく空は雲ひとつない青空が広がり、太陽はサンサンと地上を照りつけている。確かに絶好調すぎるくらいに眩い太陽だ。
 時計の針はもうすぐ朝の九時を指そうとしているところだった。
 彼女、ラーナー・クレアライトは栗色の長い髪を懸命にくしでとかしていた。部屋の中の机に少し大きめの鏡を置き、それを見ながら必死に身だしなみを整えている。その動きはおぼつかない。
「ああーもうっ時間がきちゃうじゃんっ」
 寝坊をしてしまったのだ。昨日夜遅くまで部屋で遊んでいたのがいけなかったのだ。
 世間一般では休みの日だけれど、朝早くから予定がラーナーにはある。チラチラと壁にかけてある人気のキャラクターの時計を見る。
 無情にもそうしている間にも時間は過ぎていく。秒針は小さく音を立てながら時を刻む。

 ―それではおまちかねの、今日の占いにいきましょう!―
 時計はもうすぐ九時を指そうとしている。ラーナーは赤いゴムを取り、鏡を見つつ急いで髪を高い位置で一つに束ね、結ぶ。

 ―今日の一位は! 魚座のあなた!―
 残念ながらラーナーは魚座ではない。耳をちらりと傾け、自分の星座が何位かを気にする。
 次々と早口でお姉さんは星座の名前やらラッキーアイテムやらを読んでいく。早口言葉が苦手なラーナーは、どうしてお姉さんはそんなに早口で話ができるのか、永遠の疑問である。
 しかしなかなか自分の星座は出てこない。まさか。嫌な予感が脳裏を走る。いやそんなことあってたまるか。そうは思うもいよいよ十二番目まで出てくることは無かった。

 ―残念ながら最下位のあなたは、双子座のあなた!―

「――っ」
 思わず彼女は手を止め、ラジオの方を見る。

 ―いろんなところで転んじゃうかも。足元には気をつけて!家の中にいた方が安全?―
 どういう意味だ、と心の中で叫ぶ。今これからまさに家を出るというのに。

 ―そんなふたご座のあなたに、もやもやを吹き飛ばすラッキーアイテムをご紹介!―
 その言葉にラーナーはぴたりと急かしていた動きを止める。
 急いでいるのにもかかわらず手を止めて、ラーナーは全神経をラジオに集中させる。お姉さんは少し間を置く。

 ―赤いキーホルダーを常に身につけて! そうすれば運命の出会いがあるかも……?―

「……」
 ラーナーは決して占いを信じているわけではない。けれどそんな風に言われると、信じていなくともやりたくなるのが人間。
 彼女は前に友達とお揃いで買った赤い星のキーホルダーを机の右の引き出しから出して、デニム生地の短パンのポケットに乱暴に入れる。
 キーホルダーとしての役目とは全く関係のない可哀そうな使われ方である。

「……出会い、か」
 何かを思い出したように、彼女はぼそりと呟く。俯いた瞳がおぼろげに光る。
 とても近くで聞こえているはずなのに、彼女にとってはどこか遠くで発せられているような電子音が部屋に空しく響く。
 数秒、彼女の中で、時間が止まる。
 現実の時は、ただ過ぎてゆく。
 賑やかな占いのコーナーが終わる。その瞬間唇を軽く噛んで、乱暴にラジオの主電源を叩くように切るラーナー。
 と同時に時計は九時を指す。どこか彼方の方でそれを知らせる鐘の音が鳴り響いていた。ウォルタ市内中心にある名物の古い時計台の鐘だ。
 それに呼応するように窓の外で白い小鳥達が可愛らしい鳴き声で羽ばたく。青々とした木の葉が優しく揺れる。
 風の音。


「……行かなきゃ」
 絶対に間に合わせなければならない。何が何でも。
 一年に一度だけ来る大切な日。大切な時刻。
 椅子に置いていた荷物を取る。ベージュのショルダーバッグだ。それは小さく簡素なもので使い古されている。
 彼女は急いで、まるで逃げるように部屋を飛び出した。そう、止まっている場合などではないのだから。


 外の世界は朝から活気づいていて、人々の笑顔が溢れんばかりに走り回っていた。
 水の町と呼ばれるウォルタは今日も大勢の人で賑やかで平和。それは日常的な景色。
 今日もいつもと同じような平凡な休日になる。そんなこと、当たり前すぎて誰も考えてすらいない。

 それでも物語は、既に始まっているのだ。
 例えそれが、どんなに先の見えない暗闇の中に歩いていく道だったとしても。
 それでも物語は、既に始まっているのだ。
 例えそれが、どんなに涙を止めることのできない道だったとしても。












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