Page 51 : わだかまり





 駅から徒歩で五分あたりという非常にアクセスが良い付近。空いている少し古い喫茶店を見つけ、彼等はそこに入り昼食をとっていた。圭は最初こそ水一口すら飲もうという素振りすら見せない状態だったが、時間をかけ落ち着いてきた頃に、サラダを口にする余裕はできていた。顔色も本来の健康的な赤味がかったものを取り戻しつつある。彼の元々の活力を考えれば、恐らく間もなく通常運行が始まるだろう。
 キリはやはりポケモン、中でも鳥ポケモンの存在が大きいのだろう。店内でも小さな鳥ポケモンが主人の傍で食事をとっている姿が伺える。その雰囲気に背中を押されるように、ラーナーもエーフィとブラッキーを外に出し自身の隣の空いている部分に座らせ、昼食を食べさせていた。アメモースは独特の触覚のおかげで異常に目立つ。それを避けるために、クロは出さないことを決めている。
 店内の一番端の、他に比べると暗く目立たない席にて、サンドイッチを食べながらクロは話を始める。
「まず今からどうするかだけど」
 ラーナーや圭がクロに視線を集中させる。
 クロは懐から一つモンスターボールを取り出し、机の中心に丁寧に置く。中に入っているのは、怪我に倒れているポニータだ。ボールの中はポケモンにとって安全で快適な空間が作られていると言われていることもあり、安静のために食事以外では外には出さない日々が続いている。
「ポニータの足の治療をちゃんとしてやりたいから、ポケモンの治療に強い病院を探す。ここで降りるつもりは無かったけど、鳥ポケモンと関連の強いキリならそういった施設が充実してる可能性はある」
「そうだね、それが最優先だと思う」
 ラーナーはすぐに同意した。圭も深く頷く。
 クロと違ってポニータは病院で適切な治療を受けていない。軽傷ならクロの持ち合わせている応急処置の道具で手当てをすることができるのだが、凶暴化したザングースによって作られた怪我はとても軽いものとは言い難いものであった。しかし、超過疎地であるリコリスに十分な病院は無く、ホクシアでも当事者であるクロ達が騒ぎの直後に病院を探すことなどできはしなかった。クロはホクシアの中心街から少し離れた小さな診療所にて手当を受けていたが、ポニータに関してはポケモンは専門外だと突っぱねられる始末であった。
 なるべく早く状態を整えるためにも、彼等の中でポニータの治療は最優先事項であった。
「病院を見つけた後はどうするの?」
「情報収集」
 クロは端的に即答する。またか、とラーナーは肩を落とす。地道ながら必要な行為であることは分かっていたものの、彼女が置いてきぼりを食らう構図は目に見えていた。
「どうやんだよ、要は」
 圭が気怠そうに尋ねると、クロは肩を落とす。
「基本は情報屋をしらみ潰し。一発目で有力な情報が入ればいいけど、稀だ。ただこれは慣れが必要だしお金もかかる。俺一人でやる」
「じゃあ俺とラーナーはどうすんだよ。ポニータのお守か?」
 体調の悪さから機嫌も随分損なっている圭は苦々しく最後に付け加える。苛立ちは彼の声色に明白に映っていた。その悪い雰囲気に乗ることなく、クロは自分のペースを守って冷静に息を長く吐く。考え込むように数秒置いた後に、その口は再度開く。
「今日泊まる場所を探す、とか」
 考え抜いて出た答えは至極真っ当なものであり、圭もラーナーも納得するように小さな声を漏らすしかなかった。宿泊場は確かに重要だ。トレアスやリコリスのように泊めてくれるような人物が居る町など根無し草の彼等には珍しい。
「何より安さ優先で」クロは真顔で付け加える。「場所とか云々の前に、とにかく値段」
「それどうやったら調べられるんだ?」
「観光情報を提供してくれる店は大体どこにもある。けど、辺鄙なところでかつボロそうなら大体安い。地図はそこらにある」
「……おう」
 何か圧力でもかけられたように圭は萎縮する。それを見てクロはまた何かを考えるように顔を顰めた。
「……じゃあいい、俺がやる」
「やるよ!」
 ラーナーが跳び出すように慌てて声をあげる。全体に落ち着いた雰囲気の店内にその声はよく通り、クロや圭が驚いたのは勿論、周りの人々も思わず顔を彼等に向ける。すぐにその状況を察してラーナーは頬を瞬時に赤くした。
「ご、ごめん」
 咄嗟に俯いたラーナーの顔を隣にいたエーフィが不思議そうに覗き込む。透き通った紫紺の瞳に見つめられ、ラーナーは慌てて逃げるようにはっと顔を上げた。そして目の前にいる呆れた顔をしたクロと視線がぶつかる。
「いやまあいいけど……情報集めるときについでに俺が聞く。だからいい」
「そんなのクロばっかりに押し付けてるじゃん……」
 悔しさと不満を混ぜた感情をぼそりぼそりと口元で呟く。耳の良いクロははっきりと受けとめる。
「元々俺一人で旅をずっと続けてたんだ。分担するほどのことでもない」
「ああじゃあもういいじゃん分担する必要が無いなら俺ら全員で行きゃいい話だろ。どうせ三人ぽっちだし」
 圭は呆れた口調になりながら氷水を一気に喉に流し込む。きんと冷えた水が巡り気分も少し爽快に向かったのか、軽い息を吐いて背筋を伸ばす。先程までの状況を考えれば確実に電車酔いからは回復している。
 その様子を見て少し熱を帯びかけたクロとラーナーの二人もそれぞれ手元の水を飲み、気分を落ち着かせる。興味が無さそうに、食事を早々と終えたブラッキーは喉の奥深くまで見えてしまいそうな程大きな欠伸をした。
「暇だぞ」
 クロは釘を刺すようにぽつりと呟く。
「上等だ」
 クロの醸し出す圧力に負けないように正面から睨みつけるような態度で圭は切り返す。
 数秒間沈黙の勝負が続いた後、敗北したかのように諦めの籠った深い溜息をついたのはクロの方だった。圭から意識を逸らし正面に座るラーナーの顔に目を配る。
「圭はともかく、正直あんたには来てほしくないんだけどな」
 珍しく彼のラーナーに対する意志が飛び出し、しかしその内容をうまく理解することができずラーナーは眉間に皺を寄せた。
「どういうこと?」
 クロは目を逸らし肩を落とす。最後の一つとなった彼の分のサンドイッチを頬張り、考える時間を稼ぐようにゆっくりと噛み続けて呑み込む。
「あんためんどくさいし、こっち側にあまり踏み込むべきじゃない」
 低いトーンで、発言の間も言葉を選択しているかのように彼はゆっくりと言い放った。
 こっち側、というのは抽象的でぼやかした単語ではあるが、ラーナーにはなんとなく解った。情報屋など一般人が普通に生活していれば関わるものではない。そういったものを含めた、所謂裏社会の界隈のことを指すのだろう。ただ、それよりもめんどくさいとはっきりと言われたことにラーナーは一人打撃を受ける。返そうにも言葉が少しも頭に浮かんでこず、真っ白の状態だった。
 訪れた緊張を見兼ねた圭は静かに息をつき、口を挟んだ。
「クロって、案外過保護だな」
「はあ?」
 圭が横から平然と突っ込むとクロは咄嗟に彼の方を見る。
「だってそうだろ。何をそんなに心配してるんだ」
「心配というか、あんまり踏み入れると危険度が増すだろ普通に考えて」
「どうせ喋るのはクロだろ、大丈夫だって。それに、ラーナーだって遅かれ早かれ色々知ることになるさ」
「それはそうかもしれないけど」
「何かあっても何とかなるさ」
「お気楽すぎる」
「ははは」
 思わず圭は苦々しく失笑した。と、ふと思い出したように圭は身を乗り出した。
「っていうかお前、ラーナーのことあんたって言ってんだよな。そこそこ旅を一緒にしてきたのに、余所余所しい。めんどくさいっていうのもさ、ぶっちゃけお前が言えたもんじゃねえよ」
 ふとラーナーは顔を上げる。ウォルタを出てすぐの頃に名前で呼んでいいと呼びかけた経験はある。しかし彼は他人行儀をあまり崩すことなく今に至り、時々そこに違和感を感じてはいたが既にもう慣れていて改めて訂正してもらうこともしていなかった。
 圭はすっと目線を滑らせる。
「そう、さっきから思ってたんだよ、ラーナーに対してなんでそんなに拒むんだ? 人嫌いだからで済ませるなら、なんで旅を一緒にするって決めたんだ」
 圭の裏表の無い、素直な疑問や考えがクロを真正面から突き刺していく。透いたオレンジの瞳は離さない。クロは息を呑みこむ。まずいと、瞬間に彼の中を焦燥が駆け抜けた。圧され会話の主導権を握られた中で、焦りと苛立ちからか、ざわり、彼の中で影のような陽炎が揺らめく。追って、刃物のような鋭い衝動が湧き上がってきたのに自身で気付く。抑えるように、深呼吸。けれど適切な言葉は出てこなかった。
「……別にそんなことどうだっていいだろ。もう元気そうじゃないか、なら行くぞ」
 選択したのは、掴まれながらもするりと抜けるような逃げだった。
 クロはその場を立ち、廊下側であり隣に座っている圭を軽く押して早く出ることを急かす。食事を終えたとはいえ唐突だったために、慌ててラーナーは手元のお冷を一気に飲み干した。



 会計を済ませて喫茶店を出ると、強い日差しが差し込んできてクロは目を細めた。残暑厳しい昨今、店内はエアコンが強めにかかっていたために、外と中の温度差に体が萎えてしまいそうだった。
 支払の際に圭が横から顔を出してポケモンの病院を尋ねたところ、カウンターに立った五十代程の男性の店員は、少し思考の時間を擁した後にここからそう遠くない場所に存在することを簡単な道順と共に教えた。彼自身の頭にも小さなサイズのぺラップが乗っかっていて、そのぺラップがいつもお世話になっているという。店を出てみれば喫茶店のシンボルマークはぺラップの独特な音符型の頭をアレンジしたようなものにも見え、恐らくあの親切な男性はこの店のオーナーなのだろうとクロはぼんやり考える。
 ふと思い出したようにポケギアを取り出したが画面には特に変化は無く、彼は一人深い溜息をつく。後に圭が出てきたのに気付くと隠すように元の位置に戻す。
 圭は自然な流れでクロの隣に立つ。しかし、先程の件で二人の間には緊張した空気が流れていて重い沈黙の時間が訪れる。先程啖呵を切った本人である圭も気まずさに口が重くなる。胸の中に深い靄がかかっているのはお互い同じだった。
「……あああああー!!」
 息苦しさに耐えきれず先に息継ぎをして緊張の糸を切ったのは圭の方だった。突如出てきた大声に当然クロは驚き圭を見る。
「なんだよ突然」
「やっぱお前めんどくせえ」
「それはどうも」
 冷ややかな返答をすると圭は少し息詰まったが、すぐに立て直す。
「理由をはっきり言ってくれ。リコリスでも思ったんだ、肝心なところは抜かす。お前だけじゃない、まあラーナーもけっこうだ。そんなとこで似るな! これからしばらく同じ屋根の下みたいなもんだろ。相手も相手、あの黒の団だ。俺達の中で、こう、やたらわだかまり作っててどうするんだよ! ……うっ」
 シンバルを叩いたような弾いた声を一気に出した後、圭は口を押える。まだ電車酔いが残っているようだ。締まらない台詞にクロは失笑し、同時に小さな安堵が彼の背中をそっと撫でる。
「大丈夫か」
「……おう。これくらいどうってことねえよ」
 手を離し大きく息を吸った。
「あれだ、昔の話ではあるけど、俺達はペア組んでたわけだ。だから俺をまず誘ったんだろ」
「……ああ」
 深くクロは頷いた。身長こそ低いものの、圭の姿はいつもより少し大きいように錯覚する。目の前の少年は更に雰囲気を和らげるためか、固い表情を一変させて彼らしく笑顔を見せる。
「な。そういう由だ。俺は聞いてやるよ」
「なんで上から目線」
 クロは思わず苦笑した。そんなつもりねえよ、と圭は唇を尖らせる。
「とりあえずさっきの質問はまたぶつける」
「またな」
 ひらりとクロは躱す。
 本当に気持ちが前向きで真っ直ぐな奴になったとクロは改めて実感した。目を引く明るい容姿に違わぬ中身になったと。その言葉は空を切り裂く矢のようだ。だからといって、圭の言葉を完璧に飲み込むことはできなかった。腹の底で、薄ら笑いを浮かべているものが確かに存在している。
 からんという乾いた音が背後で鳴り、扉が閉まる。エーフィとブラッキーをボールに入れるのを忘れていて、しかもその二匹に他のポケモンが寄ってきたことを処理するのに手間取ったラーナーも外に出てきたのを確認する。ふうと息をついて気怠そうにパーカーのポケットに手を入れてラーナーと圭を交互に見やった。
「行こう」
 ポニータを治療するために病院を目指し、彼等は再び歩き始めた。


 *


 眩しい太陽を反射した白いシャツに空色のスカート。落ち着いたトーンの赤いリボンのセーラー服を身に着けて、そのリボンとほぼ同じ色合いのショルダーバッグを提げて、彼女はこの暑い中全力疾走でキリの町を駆け抜けていた。綺麗に切り揃えられた黒髪のポニーテールが激しく揺れる。鼓動はどんどん高鳴る。自然と笑みが零れている。彼女の横を低空飛行で滑るのは、黒を基調とした羽毛にきりっとした大きな瞳、小柄な体のスバメ。
 ようやくだ。
 彼女は心の中で叫んだ。ふっと隣のスバメに目をやった。その視線にすぐ黒鳥は気が付き、少し不安そうな視線を泳がせながらも小さく高い声をあげる。動揺が見え隠れしているスバメの安心させようと、彼女はにかっとシャツに負けないくらい白い歯を見せる。
 ようやく――わたしは自由!
 更にダッシュをかけた。きりっと開いた瞳が彼女の前に広がる景色を貫く。












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