Page 94 : よびごえ





 その瞼は、朝、眠りから覚めるように、静かに、開けられた。
 彼は昏い部屋にいた。横たわる左側に窓があり、透明になるまで薄めた膜のような首都の光がそこからかすかに差し込んでいるが、殆ど暗闇の中にいた。一切の雑音も混じっていない静寂。深夜の香りがする。奥行きの深い、現実とは異なる時間軸で息を潜めて、耳が遠くなっていくような気配がする。余計なものをすべて削ぎ落としたような、嘘みたいにきれいな空気だった。潰されてしまいそうなくらいに、とても、きれいな空気だったのだ。
 意識が研ぎ澄まされていくと、ここはどこか知らない場所で、身体が随分と重たいことがわかった。ぬくもりの中、包帯の巻かれた人差し指でシーツを圧してみる。指先丸ごと痛みが走ったので、それ以上はやめた。とてつもない気怠さを身につけているようだった。発作で倒れ、覚醒した時の雰囲気にも似ている。けれど、意識を手放す前の記憶は淡く、頭の中は混濁していて、少しもはっきりとしてこない。
 誰かに呼ばれたような気がして目が覚めたのだ。一体、誰だったのだろう。
 深緑の眼球だけを転がすと、ベッドの傍に見慣れた姿があった。夜に紛れても尚浮かびあがる、燃えるようなオレンジ。
「圭」
 彼の名前はとても呼びやすいな、とふと思った。どれだけ渇いていても、口の中で軽くはじくだけで発音できる。
「圭」
 気が付かなかったようなので、もう一度呼んでみる。すると、椅子に腰掛け、うたた寝をしていた圭は顔を上げる。
「クロ」
 驚いた声をした。そしてやはり驚いた顔をクロの真上に覗かせ、流れるように、心底ほっとしたような表情へと変わった。切実な息を吐いて、肩を薄く震わせている。なんだからしくないなとぼんやり眺めた。
 自分を呼んだのは、圭の声だったろうか。ラーナーの声だったろうか。或いは、真弥さん。……零。違う。糸を手繰るようにクロは水泡の記憶を遡る。
「アラン」
 口から自然とその名が出てきたことに、彼自身も不思議に思った。
「アランに、呼ばれたような気がした」
 ぐしゃり、と圭の顔がしわくちゃになった。その一瞬が、クロの目に灼きついた。









 アランが死んだ。
 ガストンが死んだ。
 そして遠くトレアスにて、住宅の焼け跡からエリアの遺体が発見された。












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