Page 38 : ポケモンたち





「居たあ!」
 甲高い声が突然後ろから跳びこんできて、ラーナーは肩をびくんと震わせて反射的に振り返る。が、すぐほっと胸をなでおろす。
 背後にいたのは少し大きな麦わら帽子を被った女の子、ミアだ。
「お姉ちゃんが探してた。呼んでくる!」
「え、あっ」
 呼び止める隙もなくミアは全力で駆け出して行った。風に吹かれて帽子が飛ばないように押さえながら走っていく。その間に幾度と姉を呼ぶ声が辺りにこだます。小さな体から出てくる高くよく通る声。ふとラーナーは微笑みを浮かべ、懐かしい感情に浸る。先程まで家族について考えていたおかげで、お姉ちゃん、と呼ぶ声がごく自然に弟の声と重なり彼の姿がしんと思い浮かんできたのだった。ウォルタで、まだセルドがミアくらいの歳の頃だ。あの頃は冷静かつ生意気な要素が無く可愛げがあった、と彼女は感慨深く思う。
 その声が途中で止まる。外にいたソフィがミアの声に気づきこちらにやってきたところだった。
 ラーナーは首を伸ばし様子を伺うと、目を丸くする。ソフィの少し後方で人型のポケモンらしい生き物が歩いていたのだ。ソフィより身長が低く、淡い茶色を基調とした体にきりりとしたつり目、特に特徴的なのは天狗のような長い鼻に頭についた大きな葉っぱだ。
 ルーク家のポケモンだろうか、とラーナーは思い当たる。それというのもそのポケモンの手には大きな籠があり、ソフィが何も動じることなく一緒にいるからだ。
「お姉ちゃん、おったよ。こっち。ひまわり畑にいたん!」
「はいはい、言われんでもわかっとるけん」
 失笑しながら近くまでラーナーのゆっくりとやってくる。健康的に焼けた肌が向日葵に似合っている。
「こんなとこにいたんですね。向日葵、好きなんですか?」
「ええっと、そう、ですね。ああでも、思い出深いっていうか」
「そうですか。昼間もテーブルの向日葵をよく見とられましたもんね」
 ラーナーはふと顔を上げてまじまじとソフィの顔を見る。急に関心を強く寄せてきたラーナーにソフィは首を傾げた。
「よく見てるんですね、周りを」
 感心した風に言うとソフィは苦笑した。
「あぁ、ミア然りおじいちゃん然り圭然り、うちの一家は目を配っとらんと何しでかすかわからんとこありますから。多分その辺の癖です」
 しっかりしてるなあ、ラーナーは頷きながらそう呟いた。
 自分の名前を指されながらも内容がよく分からなかったミアは、ソフィに抱きつくような形で大きく体を揺らし不満を晴らしたがっているようだった。対するソフィは暑い暑いと連呼しながらも無理矢理剥がすことはない。
「あれ、コノハナどうしたん、そんな怖い顔して」
 ソフィがぽかんと言うとびくりと彼女の後ろにいたポケモン――コノハナは体を震わせた。その視線を追うと赤い目を光らせてコノハナをじっと見つめているブラッキーの姿があった。ラーナーからしてみれば大人しく佇んでいるだけだが、傍から見れば冷たい表情なのだろうか、コノハナは挙動不審に籠で顔を隠す。このブラッキーはエーフィよりも警戒心が強いせいもあるだろう。
「コノハナって言うんですね、そのポケモン」
 こくりとソフィは頷く。
「仕事の手伝いしてくれて良い子なんですけど、まあ見た通り異常なくらい怖がりで人見知りも激しくて。一応いたずら好きな種類のはずなのに」
 皮肉のようだが軽く笑いとばすものだから悪意があるようにはまったく感じられない。
 ラーナーは視線をコノハナに移す。それに敏感に反応してコノハナは身を固まらせる。そこまで拒否しなくても、と思わずラーナーは心の中で失笑した。
「コノハナは初めて見たんですか?」
「そうですね」
「私もエーフィやブラッキーを実際に見られる機会がやってくるなんてまさか思ってなかったですよ」
「うちも。かわいい!」
 ミアが体を相変わらず揺らしながら満面の笑顔で賛同する。未だ固かったラーナーの表情もほろと綻ぶ。
 名前を呼ばれたのに気付いた二匹は顔を上げる。その瞬間ミアはソフィを離れて水に跳びこむように二匹の元へと駆けだした。これにはさすがに驚いたエーフィとブラッキー。ただ持ち前の予知能力のおかげか、エーフィは俊敏にその場を離れる。しかしブラッキーの方は避けられずまともにミアの体当たり――もとい抱きつきを食らう。珍しく小さく鳴き声が飛びあがった。勿論ミアに悪気はないしブラッキーに大したダメージは無いが、七歳の純粋で無邪気なパワーに圧倒されているようだった。
 珍しい光景で不安も走ったラーナーだったが、ミアの笑顔を見ていると止めようにも止めづらい。ソフィはほろ苦く笑みを浮かべる。
「……すいません。ミオは慣れると見境ない子っていうか。イーブイあたりになると本当に、テレビのアイドルみたいな存在ですしね。ここらはポケモン多いですけどさすがに」
「そうなんですか」
「はい。コノハナはタネボーの時に圭が突然連れてきたポケモンですし、そこらにたくさんいますよ。空には鳥ポケモンが飛ぶししょっちゅうハネッコが大量に飛ばされてますし、川には水ポケモンも住んでますし大きな水たまりがあればアメタマだってやってくる。山や森に行けばそれこそ色々います。こないだはオドシシの群れを見ました」
「オドシシ!?」
 比較的都会であるウォルタに住んでいたラーナーにとってはオドシシもテレビの中の存在のようなものだ。催眠術を利用したバラエティ番組に出ていたのを記憶している。
 仰天の声にソフィは声を出して笑った。
「アーレイスはポケモンが少ないなんて言われてますけどね、実際のところそんなことないですよ。他国と比較して少ないかもしれないですけど、私等はここでたくさん見てきました。ここの向日葵畑にだっていますし」
「ここに?」
「黄色いポケモンが、カモフラージュするように。なんのポケモンだと思います?」
 突然の問いかけにラーナーは少し視線を落として、そう多くない自分のポケモンの知識を漁る。咄嗟に登場したのはピカチュウ。しかし花畑と電気鼠の住処とが一致するように思えなかった。メリープ、そこから派生してデンリュウ、エレキッド、と続いていくがぴんとくるものはやってこない。電気ポケモンばかりが出てくるがイメージとして草タイプだろうと踏んでいるのだ。
 ソフィは考え込んでいるラーナーをにやけながら見つめる。
 ううんううんと曖昧に唸っていたがそのうち諦めの意を示すように首を横に振った。
「分からないです。私、あんまり知らないですし」
「そっかあ。向日葵畑にカモフラージュっていうのはけっこう大ヒントですよ」
 もう一度考えてみるけれど結局白旗を上げるだけだった。
「キマワリっ」
 うずうずとして我慢できずソフィの先手を打ったのはミアだ。しかしそれでもラーナーはぴんと来ない。キマワリというポケモンを知らないのだ。
「あぁ知らないか……じゃあ見てみますか」
 提案に目を丸くしたラーナーだったがさっさと歩みを進めて花を掻き分けていくソフィを慌てて追いかける。ミオはブラッキーに夢中になっているようで馬乗りをしてその場から動かさせない。代わりに後を追うエーフィ。よく見れば若干涙目のコノハナはどうしたらいいか分からず立ち尽くすだけ。
 向日葵の根本を踏まないようにそっと慎重に突き進んでいく。大きな葉と黄金の花が所狭しと並べられた場所を歩いていく。その耳に彼方から聞こえる蝉とは別に、高い笑い声のようなものが届いてくる。ソフィはゆっくり立ち止まりラーナーを振り返る。静かにするようにというサインを人差し指を立てて送りながら、目線で目標の存在を知らせる。ラーナーは目を凝らす。そうしてキマワリを初めてその目に焼き付けることになるのだった。
 四匹程の向日葵を模したポケモンがその場に座り込んで何か話しているようだった。一本の線で描かれたような笑みが張り付いた顔。ラーナー達には気が付いていないようで、おしゃべりに夢中になっている。よく見るとその足元にはまた別のポケモンが何匹かいる。黄色と茶色のストライプ柄の体、頭に着いた大きな双葉、大きくくりっとした瞳。キマワリの進化前であるヒマナッツだ。
 夏の間だけここにいつもいるんですよ、とソフィはこそこそ話し始める。で、夏の終わりになって向日葵が項垂れてきた頃になるといつのまにか移動してるんです、よく考えていますよね、黄色くて目立つからこそいかに外敵を避けるかを考えているんでしょうか。
 エーフィが顔を覗き込んで見ようとしているのに気づき慌ててラーナーは足を避けると、少し大きな物音にキマワリ達は敏感に身を立てた。さっとギャラリーの方に視線を集めた。声はぷつんと切れて緊張が走る。
「気付かれちゃいましたね。あたしだけだとここまで過敏じゃないんですけど、さすがに新規のお客さんはだめか」
 引き返しましょう、とラーナーとエーフィを誘導する。もう少し近づいて、あわよくば話しかけてみたいと期待を膨らませたラーナーは内心残念に思いながらも仕方なく来た道を辿る。
 戻ってきてみると相変わらずブラッキーは遊ばれている。今なんて耳を引っ張られていて必死に逃げようとしているがミアの言い知れぬ純真無垢な力がそれを許さない。一方のコノハナは籠をおいてその輪に入ろうとしている様子も伺えるが如何せん足が震えていて進む気配がない。
 思わずその様子に固まったラーナー。後から来たソフィが気付いて強めた声で言う。
「ミア、何やっとん! やり過ぎっ」
 爆発した姉の怒声にミアは思わず跳びはねてさっとブラッキーから離れた。ブラッキーはまさに子供の遊びに体力がついていかなかった親のようにその場に力尽きた。エーフィが近づいて足でちょいちょいと触れてちょっかいを出すけれどぴくりとも反応しない。
「けっこうやんちゃなとこあるんで、やばいと思ったら遠慮なく引き剥がしてやってください」
 お互いに失笑する。ミアはばつが悪そうに頭を垂れている。ソフィは困ったような笑みを浮かべて肩を落とすと、小さな頭をぽんぽんと優しく叩く。
「暑いですしそろそろ帰りましょう。帰っておやつでもどうですか」
「え、あ、ありがとうございます」
 一行が動き出したのを察知してブラッキーはゆっくりと立ち上がる。
 ソフィは家へ続く道路へと上がると、眉をひそめた。
「コノハナ、君に怒ったわけじゃないんよ……?」
 籠の陰に必死に隠れようとしているのか縮こまって震えているコノハナの姿に、思わずラーナーは表情を緩めた。そしてふと、普通に会話ができていることに驚きと安堵を覚えるのだった。












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